2010年7月28日水曜日

スクーター



なんとなくYouTubeサーフィンをしていたら、こんな↑懐かしいTVCMを見つけて、昔の事を思い出したりしました。

僕が始めてスクーターを買ったのは、高校2年の頃。
親が住む沖縄の離島から離れ、本島で兄姉と3人で、2部屋しかないとても小さなアパートに住み始めて1年ちょっと経ってからの事でした。
僕は工業高校に通っていたのですが、学校に行くまでにバスを乗り継いで約2時間という道のり。
しかも、交通機関の発達していない沖縄なので、交通渋滞に巻き込まれると、さらに伸びて3時間くらいはかかったり。

そんな中、同級生達はどんどん免許証を取り、その後はバイクを買って通学するようになっていった。
ちなみに、当時はまだ原付に対するヘルメットの義務はなかった時代で、高校生達は当時流行っていた、ムササビスタイルのスウェットを着て、原付に乗って両腕を風でバサバサいいながら市内を走るのがカッコいいと思われていた時代。
あと、なぜかヤマハの車体が軽いパッソーラに、同じくヤマハだけど馬力の強いJOGのエンジンを載せる、パッジョグと言う、亜種のハイブリッド車が人気だったのは沖縄だけだろうか?

高校2年になって、やっと回りの同級生の方言が理解できて、自分でも少し話せるようになった頃、現在は無い某那覇市内のショッピングセンターの地下にある回転寿司屋でアルバイトする事にした。
本当は、マックとかロッテリアとか、A&Wとか、お洒落な所でバイトしたかったんだけど、貧乏だったのでそんなハイソな所にも言った事が無く、なにしろ自分の日本語が怪しかったので、絶対雇ってもらえないと思って断念。

でも、まず履歴書なんて書いたこと無かったので、「志望の動機」欄に「離島出身なので、自分で稼がないといけないのです。」と書いたら、すぐに雇ってもらえた。
後で分かった事だけど、そこのスタッフには、たくさん離島出身者がいた、そして皆やさしかった。

僕の仕事は、巨大な釜でご飯を炊く事と、それを巨大なおひつとシャモジで寿司酢と混ぜ合わせ、酢飯を作る事。
お客さんの要望に合わせたうどん、または蕎麦を作る事。
そのうどん、蕎麦の汁を作ること。
天麩羅を作る事。
帰り際には、寿司酢の仕込みと、たっぷりとバケツに溜まった生ごみの処理。

など、シンプルだったけど、ひっきりなしにお客さんが来るので、物凄く忙しかった。
「大丈夫~?」などと声をかけてくれた、当時一緒に働いていた僕にとても優しかった年上のお姉さん(といっても、一歳か二歳くらい上)の顔は、今でも覚えている。

このバイトにはバスで通っていて、アパートに帰るのは大抵夜中の11時頃だったのですが、乗車中に「何かこのバス、いつも臭いなぁ~」、と思っていたら、自分の臭いだったのに気づいた。
特に、仕事中に履いていた長靴を脱いだ後の足の臭さといったら・・・
一回だけ、隣に座ったお兄ちゃんが、何も言わずにスーっと席を替わった事があったけど、あれはたぶん、僕の臭いに我慢できなかったんだろう。
だから、バスの中ではいつも身を小さくして乗っていた。

そんなこんなで、その回転寿司で4ヶ月ほど働いた。
時給はたしか、300円くらいだったと思う。(当時、マックで360円で、それが一番高かった。)
働き始めて小金ができたので、昼休みに校内にある売店でいつも買う、一番安い150円のA型弁当(たしか小さい焼きソバのようなもの)やB型弁当(チャーハンだったかな?)だけでなく、新型弁当と呼ばれる、ほんのちょっとだけデラックスな、ゴハン+少しのおかず付きの弁当が食べられるようになった。
あと、TVCMでずっと気になっていた、エスキモー社の何層にも重なった超高級アイス(といっても、当時で500円くらいです)、ビエネッタを給料日に思い切って買って、姉と二人で分け合って食べたのも、良い思い出。

今振り返ると、凄い貧乏な生活だったんだなー、とか思うけど、当時はまったくそんな事思わなかった。
だって、周りの同級生達もみんなそんな感じだったから、それが普通みたいな。

そのうち、なんとなーく仲の良い同級生が、「僕のスクーター、ちょっと前輪が歪んでるけど、買わないけ?3万円でいいよ!」と話を持ちかけてきたので、即決でコツコツ貯めたバイト代で支払った。
それで、僕の憧れの初代スクーターは、HONDAのLEADになった。
色がシルバーで少し気に入らなかったけど、初めて自分が稼いだお金で買ったバイクなので、大事に大事に乗った。

乗ってすぐ、原チャリってすげー、って思った。
それまでバスでしか移動できなかったから行動範囲が狭かったけど、バイクがあれば何処へでも行きたい時に、すぐに行けちゃうのねん。
それに味を占めて、暇な時は用も無いのに、同じ島出身の同級生が住むアパートに遊びに行ったりしてた。
もしかしたら、嫌がられていたかもしれない。

そんな僕のLEAD君ですが、生まれ島の同窓会で某公園で集まった際、僕の不注意で転倒事故を起こし、前輪の歪みがさらにひどくなり、運転中は前輪が常に左側に引っ張られる形になり、いつも力を込めて反対側にハンドルを引っ張りながら運転するという、今なら絶対できない状況に陥ったわけです。

それを聞きつけた、僕の初恋の高校の同級生Y君、「ねえ君、夏休み中は島に帰るって言ってたよね?じゃあ、その間、そのバイク僕に貸してくんない?その代わり、うちの兄貴がエンジニアだから、その前輪の歪み直してあげるから!」みたいな事を話しかけてきたので、即OK!!
これで彼と近づけるんなら、夏休みの間に貸すくらいなんともないわー、と思ったんだけど。

いざ、夏休みが終わって秋学期が始まっても、「前輪の歪み、まだ直している途中だから・・・」とか言って、なかなか返してくんない。
でも、それは嘘だという事がわかった。
ある日学校帰りに歩いて帰宅していたら、川向かいの道を僕のバイクにそいつと友達が二人乗りしていたのを見つけたので、大声で叫んだら、そいつに満面の笑みで軽~く手を振られたので、そこで頭にきた。

翌日、学校に行ってさっそく彼の所に行き激しく文句を言ったら、まさか僕がこんな風に怒る人だとは思わなかったらしく少しビックリしていたけれど、すぐに謝って、バイクを返してくれる事を約束した。
でも、そいつの兄が前輪を直すのにかかった部品代を、2千円支払わなければいけなかったのは、少し釈然としなかったけど。

でも、そのせいでなのかしらないけれど、彼との距離はその後急に縮んで、当時一人暮らしだった僕のアパートに遊びに来てくれたり、買ったばかりの彼の車で埠頭までドライブに行って、急逆スピンとか見せてくれたりしてた。
あの時は、物凄く幸せだったなぁ・・・
その想い出は、たとえ本人が覚えていなくても、僕にとってはプライスレス。

まあ、そんな感じで無事に帰ってきたLEAD君は快調で、しばらく僕の足になって活躍してくれたけれど、ある日突然、止めてあったアパートの前から盗まれた!!
超ボーゼンとなったけど、警察署に行って報告。
結局見つからなかった。

その後は、またバイクを買うためにバス&徒歩による、居酒屋でのアルバイトの日々。
バイト帰りは、夜中1時とか2時頃に、徒歩で一時間くらいかけて家に帰ったりしてた。
数ヵ月後に購入したのは、中古のYAMAHAのJOGか、たぶんTRY。
このへんはよく覚えてないんだけど、ファンキーなフォルムと斬新な青のカラーで、とても気に入っていたっけ。
その原チャリは、僕が沖縄を離れるまで僕の足になってくれて、とっても楽しい時間を過ごさせてくれました。

2 件のコメント:

Etsuko さんのコメント...

胸キュンな思い出話ありがとう。ちょっとじーんとしちゃったよ。
私は働きだして3年目で一人暮らしをはじめた23歳のころが貧乏の頂点で、あの暮らしがあったから今があると思えるの。貧乏だったけど、すごく楽しかったなあ。
やっぱり人の幸せってお金じゃないのかもなあ。。

Tumbleweed さんのコメント...

>Etsukoちゃん
久しぶりぶり。
そうねぇ、若い頃の貧乏はあんまり苦にならなかったねぇ。
歳取ってから貧乏すんのは嫌だけど。(笑)
でもさぁ、ある程度の幸せはお金で買えるんじゃない?
お金の無い僕が言っても説得力ないけんどー。あはははは!!