2009年12月30日水曜日
最近のこと
この場を借りて、お礼を言わせてもらいます。
ありがとうございます。
さて、今日は近くのドラッグストアーWalgreensで、H1N1(豚フル)のワクチンを打ってきました。
人生初の、インフルエンザ・ワクチンです。
価格は$18ポッキリで、てっきり薬剤師とばかり思ってた女性が奥の部屋に案内してくれ、カツンと打ってくれました。
彼女、看護婦の資格も持ってるのかしら?
それとも、資格なくても注射打てるのかしら?
風邪など滅多にひかないので、当初はワクチン接種は考えてもいなかったのですが、この間の日本滞在中に血糖値を測ってもらったら、夏よりもかなり悪い数値が出て、その上体調も悪いので念のため。
糖尿病患者で、H1N1にかかって亡くなる人も多いみたいですし。
同じ日に、自宅で血糖値を測る装置のキットをコンプリート。
機械だけは以前から買っておいたのですが、これ、それ以外にテスト用紙や血液採取用の穴空け器?コントロール・ソリューションと呼ばれる、リトマス試験に使うような液体など、色々必要なのねん・・・
早速、家に帰って試してみたのですが、理科の実験みたいでおもしろ~い。
血液採取も、昔学校でやった指をチクっと刺す痛いアレではなく、ほとんど無痛。
技術の進化に感動。
結果は130mg/dLで、通常より高めだけれど、少しほっとした。
なにしろ、一ヶ月前に沖縄の病院で測ったときは、450mg/dLとか出て超あせったもんね。
2009年12月19日土曜日
日本に帰ってました
詳しい事をここで書いていいものかどうか、また、書けるかどうかわからないので、気持ちが落ち着いたらボチボチいこうかなー、と思っています。
それにしても、今回の旅はキツかった。
今通っているカレッジはクォーター制なので、三期制の学校より早めに終わるのですが、日本行きを決めたのはFallクォーターが終わる一週間前。
あわてて先生方に事情を説明して、特別に前倒しで期末テストをしてもらったり、課題の提出を早めに終わらせたりと、大変難儀しました。
でも、もっと大変だったのは飛行機での移動。
一刻も早く沖縄に着きたかったので、今回は本土での滞在は無し。
アメリカ国内で2回飛行機に乗り、成田に到着。
その間、搭乗チケットと大事なI-94を紛失してしまうというハプニングもあったりして、かなりドキドキの旅でした。
日本到着後は、その日のうちに成田から羽田にリムジンバスで移動し、沖縄那覇まで飛び。
翌日には、さらに那覇から宮古島までと、一体何回飛行機乗らなきゃならんねん!しかも、片道で!と、離島に生まれ育ったハンデを身にしみた訳ですが、その時点でもう身体はドロドロ。
宮古島では2週間以上滞在したのですが、その宮古島も僕ら家族の故郷ではないので、滞在途中、隣にある生まれ島まで2日程度、親父の顔を見に船で往復したりもしました。
帰りは帰りで、今度は真逆に宮古→那覇→羽田→成田→シアトル→ミネアポリス→デイトンと、5回の飛行+移動。
しかも、T-シャツ一枚の沖縄から氷点下5℃のデイトンに着いたものだから、寒い寒い!
うっかり素足にサンダルでコンビニに買い物に行ったら、途中で凍傷になりかけた。
また、疲れが溜まっていたのか、帰ってから3日間は、ずーっと苔のように一日15時間くらい眠りっぱなしでした。
なんかもう、昨年の暮れから今年にかけては悪いことばかりが立て続けに起きているので、誰かに呪われているのではなかろうか?と心配になっています。
2009年11月9日月曜日
国籍不明・・・らしい
たまに国籍を聞かれ、日本から来ましたと言うと、「へ?あんた日本人なの?嘘、ありえない。だって君の顔・・・」と驚かれたり、中南米系のおっさんに、カジュアルに「@&^!@#%&」と思い切りスペイン語で話しかけられたので、「すんません、スペイン語喋れないんです・・・」と、片言のスペイン語でいうと、「あ、そう・・・残念だねぇ・・・」と、淋しそうな顔をされたりとか、ザラです。(たぶん、中南米からの2世か3世だと思ったかも)
今日、家の近くのコンビニにビールを買いに行ったら、支払いの際にレジのアラブ系のおっさんが何かアラビア語で話しかけてきたのでキョトンとしてたら、「あれ?てっきり君、アラビア語喋れると思ったんだけど・・・」と言われました。
以前フィラデルフィアの学校に通っていた頃、トルコからのクラスメートがたくさん居て、中には「僕の友達に、君にソックリの顔の奴がいる」と言われ、まさか、そんなはずは無いだろうと思った事があったのですが、コレの事かと合点がいきました。
まさか、中近東系にまで間違われるとは思わなんだ。
最近では年齢まで不詳になってきたらしく、一ヶ月くらい前に近所の美術館の中庭で行われたビヤ・フェストの入り口で、ビールを買うためのリストバンドをもらう時、年齢確認の際に免許証を係りのおばさんに渡したら、「ええええ~~!!アンタ、1968年生まれなの~!!?てことは・・・、今41歳!?ありえない!ありえないわー!」と大袈裟に驚かれ、一瞬気分が良くなった。
昔は老け顔で、20歳くらいの時には、すでに30歳くらいに見えてたんだけどねー・・・
ていうか、若く見られて喜ぶってのは、歳をとったって事なのかしら?
2009年11月4日水曜日
怖い宗教
アメリカのキャンパスには色々な人とか団体がやってきて、自由に自分の信じる気持ちを表現する人が多くいるんだけれど、たまにはコレは少し行き過ぎなのでは?という、ここではとても書けないような表現の仕方をする人達もたくさんいて。
そんな訳で、今までキャンパス内でたくさんの活動家を見てきたわけですが、今日目撃した聖書を片手にしたお兄さんが言っていた事は・・・・
「私はgayやレズビアンなどの同性愛者を責めている訳ではありません! でも、聖書によると、ジーザス(キリスト)は、愛というものは男と女の間にだけに存在するものなのです! だから、男同士、女同士の間のSEXは罪なのです!」
みたいな。
ていうか、思い切り責めているんじゃーん!!!?
え~!? ぢゃあ、アタシ、同性愛が罪ならば、人殺しとか、盗人とか、強姦者とか、詐欺師とか、そういう人達と一緒にされてしまう訳?
それも、ただ愛した人が同性だったために?
そんな事でジャッジされるんだったら、そんな宗教なんて、こちらから糞くらえだわ!!!!
ていうか、なんでアンタ、こんな事わざわざパブリックな場所で言う必要あるわけ?
とか、色々な気持ちが交差したのだけれど、よく見ると彼の周りには誰もおらず、というよりは冷たい目線で彼の事を見ている人が大部分だったので、テキトーにそのキ○ガイの前を、「バッカじゃねーの?アンタ!?」と日本語で言いながら通り過ぎた。
もちろん、小声でね。(← 小心者)
これが、僕なりのリベンジ。
つっても、相手には聞こえてないから、リベンジにも何にもならないけどねー。
あははははは。
その後、午後6時からの授業があったのだけれど、授業中トイレに立ってクラスに戻る際の廊下で、いきなり僕を追い越してきたデップリと太った若い男(↑とは別人)が、「ジーザス(キリスト)は、君に希望を与えてくれるよ」と僕にしたり顔で言い放ち、去っていってた。
ポツンとその場に取り残された僕はしばらく唖然として、あたし、よっぽど不幸な顔つきして歩いてたのかしらー?とかも思ったのだけれど、よくよく考えたら、「なんでアタシ見ず知らずの赤の他人に、今現在希望が無いような事言われなきゃいけないのかしら!?
だってアイツ、アタシのこと何も知らないじゃない? ていうか、アタシもその糞デブの事何も知らないしー・・・!? 人にどうのこう言う前に、その腹をどうにかしろよ!!」と思ったら、凄く腹が立ってきた。
もうねー、何を信じようが信じまいが勝手ですけど、そういう自分の思想を他人に強要するのだけはやめてもらいたい!
なんなの?今日は?ほんとに?
2009年10月10日土曜日
2009年10月9日金曜日
二股の猫
うちのお勝手口に現れる例の白猫、朝と夕方に餌を与えるようになってから、だいぶなついてきた様子。
最近は、僕が出先から帰ってくるのを待ち構えており、後を付いて来て↑のビデオのようにキッチンに入り込む事もしばしば。
このオッサンに付いて行けば、おいしいものが食べられると気がついたようだ。
でも、野良の性か、触られるのはあんまり好きじゃないみたい。
あ、もちろん、その間は扉を閉めて、他の猫にゃんと接触しないようにしています。
めっきり寒くなってきたので、そろそろ病院に連れて行って検査して、問題がなければうちの子にしようかなぁ~、とダーリンJと話していた所ですが、この所訪れる回数が少なくなった。
その割には、目方もぐっと増えてどんどん大きく筋肉質になってきたので、変だなぁ~と思っていたら、なんと、二股をかけられていたことが判明!
お相手は、すぐ隣のコンドミニアムに住む初老のゲイのマイケルさん。
約1ヶ月前に愛猫を亡くして以来、彼の面倒をみている様子。
白猫は見るからに野良猫。
だから、もしかしたら近所の人がアニマル・コントロール・センターに通報するかも?と心配して、彼に首輪を着けてあげたのですが、その直後、マイケルさんが「この猫、うちでも面倒みてるんだけど、これはお宅の猫ですか?」と尋ねて来た。
なんでも、昼間は外に出しているけど、夜は家の中に入れているとの事。
今週末には猫ドアも設置して、自由に出入りさせるつもりらしい。
もちろん、そのうち病院に連れて行って、ワクチンや去勢手術もやると言っていた。
それを聞いて安堵した反面、ちょっぴり寂しくなったり。
幸せになってほしいな、白猫ちゃん。
2009年9月30日水曜日
痛む所
前立腺炎は定期的なマッサージが必要なんだけれど、そのマッサージというのは指を肛○の中に入れてグリグリとするヤツだそうで。
僕が泌尿器科で体験した、あの物凄く痛いものなんですけど。
通常は病院でお医者さんや看護婦さんにしてもらうか、中には奥さんにしてもらう患者さんもいるとか。
自分でやるのはちょっと気がとがめたので、今までほっておいたのですが、あまりにもジクジクとするので、外側からでも効果ないのかしら?と思い、数日間眠る前にベッドの中でモミモミしたり、人差し指や親指でツボのように玉袋のあたりを刺激してみた。
効果があったのかどうか知らないけれど、それまでの下腹部の痛みと違和感が嘘のように無くなった。
んが、それと同時に今度は右足の膝内側から内腿にかけて、何か引っ張られるような痛みが発生。
とても痛いという訳では無いけれど、一日中続くので夜もあまり眠られない。
この痛み、以前経験した事あるなー?と思ったら、昔酷い腰痛を患った時にあった、坐骨神経痛に似ている。
でも今回、腰痛はほとんど無いんだけどなー?
痛みって移動するのかしら?
2009年9月28日月曜日
Glee
数ヶ月前にFoxチャンネルでパイロット版が放映されて、まだかまだかと待っていたドラマが、ついにこの秋シーズン1に突入!
オハイオ州に実際にある小さな街、Limaの高校(学校は空想です)が舞台で、音楽以外に何のとり得も無い負け犬5人+教師の策略によって無理やり参加されたアメフトの花形クォーターバックのイケメンが、過去の栄光をもう一度、という訳でミュージカル部を結成。
少しずつ興味を示し始めたそのイケメン君に、他のアメフト部員が「そんな負け犬達と組んでどーすんだ。お前も負け犬になりたいのか!?」と言われた時に、「わかんないのか、俺達は皆負け犬なんだ。この学校、いや、この街にいる限り負け犬。」と反論するのを見て、沖縄の小さな離島出身の僕は、深~~く相槌を打った訳ですが。
このドラマ、コメディ調の中に、毎回キラリと光る舞台が演出されていて、期待したよりもかーなーりーおもしろーい!!!
エピソード3には、あの僕の王子様ジョシュ・グローバンまで本人役で出演していて、気絶しそうになった。
毎回、わくわくしながら見ています。
↑パイロット版のハイライトシーン。
↑今週のハイライト。
Glee Clubの一員、いじめられっこのゲイBOYがまさかの大活躍!
2009年9月9日水曜日
41歳の学生
41歳にもなって学生だなんて、どうかしてると自分でも思うのですが、アメリカにいる為の手段だから仕方がないか・・・・?
誰か僕に、グリーンカードをプリーズ。
今回の学校、街の一角がそのままキャンパスになっているのですが、どうせ貧乏な街だからたいしたことないだろうとあなどっていたら、とんでもない、今まで通ったどの学校よりもモダーンでイケてるキャンパスでした。
まずは、ビルがいくつかあるのですが、ビルとビルの間には空中トンネル、または地下トンネルで繋がっていて、雨の日でもまったく外に出ないで移動が可能。
カフェテリアがいくつもあって、しかも結構遅くまで空いているのにはビックリした。
キャンパス内が綺麗、特にトイレが清潔なのが嬉しい。
いたる所に、薄型液晶のモニターが壁にかかっており、TV番組やキャンパス内の情報を流している。時には、生徒のデジタル作品なども。
それと同じく、あちこちにパソコンが設置されており、いつでも自由にインターネットにアクセスできる。もちろん、Wi-Fiシステムも完備。
図書館なんて、ガラスを基本にした設計で、初めて入ったとき未来空間にいるかと思ったくらい、超クールなデザイン。
生徒のIDカードにお金をデポジットできて、それで駐車場やカフェテリア、購買店などで支払いが可能。デポジットは、キャンパス内にたくさんあるマシーンにて、チャッチャと好きなだけ好きな時に、自分で現金を入れてできる。
などなど色々あるのですが、実はまだこの学校の中、まだまだ見回ってない所だらけ。
今度時間がある時に、じっくり観察したいと思っています。
今回は、グラフィックデザインやウェブサイト構築、DTPなどのデザイン関係を中心に授業を取っています。
もしかしたら、インテリア関係もとるかもー。
結構、アート系のクラスや設備が充実しているので、僕には嬉しいかぎり。
クラスの中には、いかにもゲイゲイしくもかわいらしい、プリプリお尻のピチピチ美少年も何人かいるしー。
ぐへへへへへ。 (← 完全にスケベ親父です)
2009年9月5日土曜日
5年ぶりのニュージャージー
その間、チャイナ・バスを使ってニューヨークへ行ってYOSHINOYAの牛丼食べたり、メトロポリタン美術館などに行こうと計画していたのですが、滞在中の不規則な食生活+酒の飲みすぎ+運動不足+糖尿病の薬の飲み忘れなどの不摂生がたたってか、ずっと身体がだるく、一日中吐き気と目眩に悩まされて断念。
おまけに、前立腺炎の薬が途中で切れて、下腹部がジクジクと痛み始めた。
ご迷惑をおかけしました、Kさん。
結局、3~4日で帰るつもりが、途中でJからの追加リクエストなどもあり、オハイオ州に戻ったのは10日後。
帰り道は、西に向かって走るので、夕方になると西日がキツクて、あと3時間程でデイトンという所まできていたけれど、途中で走るのを諦めてモーテルに泊まった。
でも、フロントでもらった部屋番号のカードキーを差し込むと、誰かがすでに住んでいる様子。
ベッドは滅茶苦茶だし、TVもつきっぱなしで、旅行かばんまでおいてあるよ、おい・・・・・
誰もいなかったからいいものの、コレもし情事の場面だったら・・・・?
慌ててフロントに戻り、事の説明をしたけど、おっさん、半信半疑で、「部屋番号間違えたんじゃないのー?」なんて言うし。
「そうだとしても、じゃぁ、なんでドアの鍵開いたのかしら?」と言うと、面倒くさそうに違う部屋のキーを渡してくれた。
さすが、アメリカン・クオリティー。
数日後、JからアタシがNJ滞在中に内見にきていた人が、正式にレント契約したと聞かされた。
それって、あたしがNJまで行った意味、まったく無いんぢゃ・・・? orz
2009年8月26日水曜日
ロードトリップ
というのも一週間ほど前、「貸し家にしていたニュージャージーの家が、この数ヶ月ずっと空き家で、なかなか借り手が見つからない。広告をだすにも、撮ってあったはずの写真が見当たらない。だから、そこに行って、写真やビデオを激写してきてほしい」とのダーリンJからの要望がありまして。
写真やビデオを編集して、それを動画サイトにUP。
WEB広告に直接貼り付けるか、リンクして興味を持ってもらおう、という策略みたいだ。
でもその作業、結局僕がやる羽目になりそうだけれど、一人でロードトリップなんて初めてだし、なんだか楽しそうなので、二つ返事でOKを出し、8月25日、火曜日の午後2時にオハイオを出発しました。
アメリカ大陸を横断しているI-70を、東へずっと走る事4時間半、やっとオハイオ州から抜け出た訳ですが、まあ、その間のドライブのつまらないこと、つまらないこと。
道は平坦で起伏も無く、高速道路の両側には樹木がうっそうと生い茂っているので、風景もまったく見えず、途中で眠りこけそうになりました。
コロラドだと、美しく険しい山肌や、果てしなく続く地平線に重なり合う山脈など、飽きることなんてなかったのになー・・・
あたしやっぱり、この州好きになれそうにないかも。
それがペンシルバニア州に入ってからは、ガランと風景が一転。
山あり谷あり、急なカーブもあって、途中には川だか湖のそばにとても美しい街があったりと、どうして隣の州なのにこんなにも違うのかと。
その後一時間ほど走り、暗くなってきたのと、眼が疲れたのかシバシバして涙が止まらなくなってきたので、これ以上運転するのは危険だと判断し、途中のモーテルに宿泊。
ツインの部屋をシングル料金にしてもらい、AAAカードでさらに割引まで。
アメリカに来てから、結構厚かましくなったかも。
翌日は朝の9時半に出発。
午後2時ごろには着くかな?と思ってたら、ニュージャージーの家に着いたのは夕方の5時半でした。
高速道路のあちこちで工事をしていたので、スローダウンしなきゃいけなかったのと、NJに行くのにベン・フランクリン橋を渡らなければならず、フィラデルフィアで高速を降りたのですが、そこで迷子になって、行ったり来たりを繰り返してたのも原因なのですが、あたしすっかり忘れてたわ、ペンシルベニア州が横に長~い州だという事を!
走れども走れども農村地帯で、やっとフィラデルフィアのビル郡が見えたときは、「あ、キターーー!!」と一人で叫んでました。
フィラデルフィアは、僕がアメリカで初めて通った学校のある街。
映画、「シックスセンス」や「ナショナルトレジャー」でも有名ですね。
かなり歴史のある、アメリカでも重要な街、のはずなんだけど・・・・
数年ぶりに通りすぎたフィラデルフィアは、相変わらず灰色がかって、太陽は出ているのになんか陰気で貧乏臭い街でした。
この荒廃っぷりは何とかならないものかね?
とまあ、すんごい疲れたけれど、結構楽しい旅でした。
でもこれ、オハイオに帰る時も同じ位運転しなきゃいけないのよね・・・・
2009年8月22日土曜日
犬のような猫
うちの3にゃんの中で、一番のアフォ猫のSimon君ですが、時々こいつ本当は猫じゃなくて犬なんじゃないか?と思うようになりました。
というのも、甘え方がしつこくて、いつも僕がカウチに横になっているとジャンプしてきて、「なでろー、頭と鼻をなでろー」と、自分の頭を僕の手の平にグリグリと押し付けてくる攻撃がひどい。
しかもその際は、フンガー、フンガーとか、ハァハァとか、何を興奮してるのかしらないけれど、妙に鼻息が荒いの。
僕がご飯食べてると、そばでジーっと恨めしそうに見てるし、ちょっと眼を離すと盗み食いもする。
それだけでも十分なのに、今日なにげにトイレを覗いたら、爪先立ちで便器の中の水を飲んでいる彼を発見!!!
オーマイガーーーーーー!!!!
隣にはちゃんとした電気式の猫専用噴水があるというのに、なぜにわざわざトイレの水を飲むのか、理解不能。
ていうかコイツ、甘える際、時々僕の顔舐めるんですけど・・・
この猫、ほんとヴァカ。
2009年8月20日木曜日
腰痛
あと、車が無いので移動にかかる費用を少しでも安くしようと、歩ける距離は1時間くらいだったら歩くようにしていたのですが、そのせいか持病の腰痛がひどくなり。
一度など、2時間くらい歩いた後バスに乗ったら、停車場で降りるときに腰の辺りに激痛が走り、ソロリソロリと妙な足取りで降りざるおえませんでした。
その間の「このおっさん、何してんの?」という、他の乗客の目線の冷たい事!
この際だから、ついでに整形外科に行って、腰の骨のレントゲンでも撮ってもらおうと、いそいそとでかけました。
歯科、内科、泌尿器科、眼科と続いたので、もうこの時点でナチュラル・ハイになったのか、病院通いが妙に楽しくなり、病院に毎日のように集まる老人の気持ちがよくわかる気分に。
結局、ヘルニアとかの重症ではなく、「ちょっと骨と骨の間接がちょっと縮まっていて、それで神経を圧迫しているみたいですねー。 日本を旅立つようなので、一ヶ月分くらいの湿布を処方しますねー。」と、これまたカジュアルに言われ。
病院って、結構融通効くんだ~、と関心した次第です。
んで、もらった湿布ってのが昔のイメージと違ってスタイリッシュというか。
臭いはまったく無いし、自分では見えない腰への塗布も超簡単で、しかもめっちゃ効果あり。
コレ貼ってると、本当に腰痛が治まるのねん。
でも、そんな素晴らしい湿布、一か月分のお値段が820円って、どういう事ですか?
何度も言うように、日本の保険制度は素晴らしい!!!!
これで日本への滞在中、虫歯の治療や心電図、レントゲン、エコー検査、血液検査、尿検査、眼の検査、眼鏡の処方箋、栄養士との相談、そして各種の薬を処方+薬代してもらったのですが、全て合わせても5万円以下!!!
コレ、アメリカでやったら大変な金額になってますよ。
ああ、日本人に生まれてきて本当によかった。
2009年8月19日水曜日
今日は良い日?
ダウンタウンの中にあるこの学校、専用の駐車場もあるのですが、まだ本式の生徒でない僕が利用すると$2かかる。
たった30分の用事に$2払うのは嫌なので、路上のコイン・パーキングメーターを利用しようとしたら、すべて満杯。
何回かグルグル廻って、ようやく空きスペースを見つけたのですが、前後に車が止まっているではないか!
こ、これは縦列駐車をするしかないのかしら?
と、一瞬諦めかけましたが、幸い道路も一方通行で4車線あり、後ろからも車がきそうになかったのでトライ。
実はあたし、アメリカに来てから縦列駐車なんてものはほとんどした事無いというか、そんな状況になったら少し離れた所に駐車して、歩いたほうがマシ、くらいの縦列駐車恐怖症なんです。
でもなぜか、今日は一瞬ですっきりとパーフェクトに駐車できました。
自分でも驚きー。
いやだもう、あたしったら結構運転ウマイのかしら?
とか思いながら、ルンルン♪気分で用事をすませた後、たまにいくカフェへ、アイスコーヒーを飲みに行った。
なんか見たこと無い若いギャルな店員さんが、一人で客の相手してたんだけど、その女、しゃべるしゃべる。
手を動かすよりしゃべってるほうが長いんじゃないの?と思うくらい、ペチャクチャペチャクチャ喋り倒し。
まあ、これくらいはアメリカなら普通だし、しょうがないかなー、と思いながら、待つこと約10分。
出来上がったのは、僕が来たときに居た前の客へのたった2カップのコーヒー。
なんでコーヒー2杯を作るのに10分もかかるのか?意味わからん。
やっと自分の番が来たかと思ったらその女、おもむろにその客のためにさらに2つのカップを準備しやがった。
てことは、これからさらに10分待たないといけないの?
もう無理、ア然としながら、無言でその場を立ち去りました。
こんなの、日本だったらソッコー首だよなー、と思いながらも、やっとアメリカに帰ってきた実感が沸々とわいて来た気分です。
2009年8月18日火曜日
白猫現る
日本からアメリカに帰ってみると、家の裏庭にあるポーチに、かわいい白猫が朝と晩、鎮座してご飯をねだるようになっていた。
聞けば、僕が日本へ一時帰国したそのあたりから、我が家に訪れるようになったそうな。
それからダーリンJは毎日、彼に朝晩ご飯をあげているようですが・・・
その猫ちゃん、首には蚤よけの首輪をしているものの、身体は薄汚れていて、頭部には他の猫ちゃんと喧嘩したのか、痛々しい生傷がたくさんあってとても不憫。
しかも、まだ若くて1歳になるかならないかくらいの体格。
たぶん、迷い猫か捨て猫だと思うんですが、とても人間に警戒心を持っており、近くに寄ると逃げてしまう。
何とかしてあげたいんだけどなー。
上の映像は、たまたま前庭のポーチにいたその猫ちゃんを、玄関のドア越しに隠し撮り。
とてもかわいいでしょ?
最近は少し慣れてきたのか、餌をあげる時に近くに寄っても逃げないようになってきたのですが、こないだ背中をナデナデしてたら、てっきりゴミか埃だと思っていた、真っ白い毛の上にあるたくさんの黒い斑点がモソモソと動き出し、ソレは蚤だという事がわかりビックリした。
あわてて、背中に点ける蚤の薬を塗布してやったら、数日後、その黒点はすっかり無くなっていたので安心した。
今までさぞや痒くて辛かっただろうなー、と思うと、やるせない。
もう少し馴れたら、彼を保護してシェルターに連れて行き、チップが埋め込まれてないか確かめ、猫エイズの検査などをして問題がなかったらうちの子にしようかねー?と、Jと話している最中。
2009年8月15日土曜日
白内障
実はワタクシ、お菓子の袋の裏側に書かれている栄養素や成分表などを読むのが好きで、買う前にコッソリ眺めては、「ホウホウ、これはカロリー低そうだから食べても大丈夫かな?」、などとチェックなどしていたのですが、10ヶ月くらい前から急にその成分表がボヤケルようになり、見づらくなった。
そのうち、本などの印刷物も20~30cm離さないと読めなくなり、「ああ、コレが俗に言う、視力の良い人は早く老眼になりやすいって事なのねん」、と呑気にかまえていたのですが。
「糖尿病の怖い合併症に一つに、眼の病気があるから調べてもらいなさい。」というお医者さんの言葉に従い、眼科にも行ってきました。
子供の頃から視力は良い方で、大人になってもずっと1.0をキープしていたのですが、今回調べてもらったら、左右とも0.5まで極端に落ちていた。
しかも、近視と乱視がまざっているようで、眼科医の「夜とか雨の日なんか、車を運転する時に見づらいでしょ?」という言葉に深く相槌を打ち。
アタシ、てっきり自分は鳥目だと思っていた・・・
それだけでも十分なダメージなのに、「あー、それと君、軽い白内障にかかってますねー。 これは糖尿病からくる合併症かもしれないので、気をつけてね。」と、カジュアルに言われ。
ど、どないすればいいの?と動揺していると、「もうすぐアメリカに戻るらしいんで、うちではどうにもできないけれど、眼鏡の度数の処方箋くらいならできますよ。」と提案。
「お、お願いしますぅ~」と、半泣きになりながら答えた。
んで、遠近両用のレンズに調整してもらったんだけれど、すごいのね。
これまで、遊び以外で眼鏡をかけた事なかったのでわからなかったけど、ちゃんとした度数のレンズで見ると、ハッキリクッキリと見えるんだー。
こんなにも違うなんて、驚いたよ。
でも、その調整されたレンズで頭痛とか起きないか調べるために、幼い頃のルーク・スカイウォーカーのゴーグルのような眼鏡をかけて、30分ほど病院内をウロウロしなければいけなかったのは辛かったけれど。
だって、その特殊レンズを装着した僕の顔見ると、皆ギョっとするんだもの。
2009年8月14日金曜日
Josh Groban & Sting
今、僕が恋をしているといっても過言ではないくらい大好きで、毎日彼のアルバムを聴き倒しているアーティスト、Josh GrobanがあのStingとデュエットしている動画をハッケーン!
2人とも違う声質、歌い方のスタイルなのに、こんなに素敵なハーモニー。
やっぱ、才能がある人達は違うんですねー。
あと、後ろや横にいるギタリストやトランペッター?も、必要以上にイケメンで、眼福動画となっております。
ていうか、Stingさん、あまりにも歳をとらな過ぎなので、何か変な薬でも打ってるんじゃないかと心配。
彼の歳であのルックスって、ありえないような・・・?
でも、常に腰に左腕を廻しているという事は、やっぱ寄る年波には勝てない腰痛でもあるのかしら?
2009年8月12日水曜日
前立腺炎
どうも半年くらい前から、ティンコの右上下腹部に妙な違和感があり、それが次第にジクジク痛み出してたのです。
あと、他にもちょっと人前では話せないような症状も・・・ ゴニョゴニョ・・・
泌尿器科なんて生まれて初めて行ったのですが、僕の他の患者さんは皆老人ばかり。
あ、あたしって、もうこのカテゴリーに入っちゃうのかしら?などと不安を抱きつつ待つこと数十分。
ドクターに会う前に、尿検査とエコーは撮っててあったのですが、最近の病院はすごいんですね。
カルテというか、患者のそれまでのデータが全てデジタル化&コンピュータライズ化しており、どの科のお医者さんでも患者の過去の病歴なんかが一発で見れちゃう。
内科で撮ったレントゲンなんかもクッキリ写ってて、うわ、スゲーと思いましたですよ。
でもすぐに、「あー、君、糖尿病だってねー!」ってバレてしまいましたけど。
さてさて、この泌尿器科の先生、見た目がかなり個性的で、話し方も妙にハイテンション。
だ、大丈夫かいなぁ?と思う暇も無く、問診の後いきなり「ハイ、じゃぁ、ズボンとパンツを脱いでね!」と指示され、診察台の上に仰向けになり触診。
これくらいなら予想もしていたのですが、その後「ハイ、じゃあ今度は横になって膝をかかえてね」、その後「♪ルン」という音にできない響きが伝わったのは、単に僕がゲイだからじゃないはず・・・
え?あ?え?と思うまもなく、看護婦さんに優しく足元を固められ、心の準備もできていないままに、ラテックスの手袋をはめたドクターの人差し指が、僕の敏感な部分にいきなり挿入され。
ひ、ひいいいぃいいぃいいい~~~~、となりながらも、「ここはどうですか?これは?」と、直腸内をまさぐりながら聞いてくるドクターに、「だ、大丈夫です~」と生返事。
それが気に食わなかったのか、ドクターいきなり、「じゃぁ、ここはどう!? ホラ、痛いでしょう!?」と、ある部分を押されたのですが・・・・
あまりの痛さに、「痛い痛い、とっても痛いですぅ~~~~!!!」と叫び。
それでもそのドクターったら、止める事も無く、「じゃあここは?ここも痛いよねー?あと、こことか?いひひひひ」と、神の指裁きで痛点をグリグリとピンポイント攻撃。
この医者、ドSと見た!
ていうか、お医者さんてすごいねー、指先一つで悪い所とかわかるんだもの。
その技術、ぜひ習得したい。いろんな意味で。
結局、そのドSの医者にもてあそばれた後に下された診断は、「前立腺炎」でした。
前立腺炎とは、30~50代の男性によくある病気で、いろんな原因があるらしいのですが、僕の場合は運動不足と、一日中パソコンの前に座りっぱなし、あとは糖尿病の合併症ではないか、という事でした。
とりあえず、一か月分の薬をもらって一日食後に2回飲んでいるのですが、なんかイマイチ効果が無いような・・・?
「このままだと、バイアグラのお世話になるかもよ」とドクターに言われたのですが、アタシ、ぶっちゃけ過去5年で2回くらいしかセクースしてないから、別にEDになってもいいかなー?とか、ヤケになっている今日この頃です。
2009年8月11日火曜日
新しいプリンター
2009年8月9日日曜日
糖尿病
実家には、日本に帰ってすぐに行き、1週間ほど滞在。
直腸癌と脳卒中を生き延びた父は、老いてますます元気という感じだったけれど、3年前膝の手術をした母親が、秒速3センチの歩幅でしか歩けなくなっており、しかも眼もほとんど見えなくなっていた。
島に住む兄達には、「もしもの事があっても、お前は遠い所にいるんだから、帰ってこなくてもいいよ」と言われ、「ああ、もうそんな事を考えなきゃいけないんだなぁ」と、悲しくなった。
その後沖縄本島に戻り、国民健康保険証を作って、歯の治療。
1週間ほぼ毎日通って、悪い所を全て治してもらった。
最初の3回くらいはそれなりの金額だったけれど、4回目なんてたったの120円ですよ!?
120円って、ペットボトル飲料よりも安いんですけどー?
あまりの金額に、「へ!? 本当に120円でいいんですか?」と、受付のお姉ちゃんに再確認しますた。
日本の医療制度はすばらしい!!!
翌週は健康診断の為、長姉お勧めの大きな病院へ。
オハイオに引っ越してから、身体のあちこちに異常を感じるので、この際全て検査してもらおうと思って。
人間ドックに入るのもいいけれど、内視鏡なんて飲むと絶対ゲーって吐きそうだし、ドックの2日前から酒飲んじゃいけないって、絶対無理!と思って、気になるところだけ調べてもらいました。
まずは、最近心臓がドキドキして、夜中に苦しくて起きる事もあるので、レントゲンとエコーなどを撮ってもらいましたが、結果は意外とOK。
ただのストレスだったのか?
つづいて、血液検査と尿検査。
コレステロール値が気になるのと、兄弟に糖尿病が何人かいるので調べてもらったのですが・・・・
最悪な結果で、ワタクシ、かなり重度の糖尿病だという事が判明しました。
血糖値は通常の約3倍(通常60~110)の、305mg/dl。
ヘモグロビンA1Cという、過去3ヶ月の健康状態を示す数値も8.8%(普通4.3~5.8%)と、かなりのハイスコアを叩き出してしまいました。
医者からは、「この歳でこれだけ高い数値って、アンタ大変だよー。これはもう、すぐになんとかしないといけないレベル」と言われ、恐れおののき。
栄養士のアドバイスと、薬療法を受ける事にしました。
栄養士さんには、「データを見る限り、あなた食生活はそんなに悪くないわよね? もしかして、お酒たくさん飲む?」とズバリ聞かれ、「はい、そうです・・・」と力なく答える私。
「どのくらい飲むの?」と聞かれ、「はい、ビールを毎日2~3ℓ・・・」と、控えめに返答しました。
で、その後も色々と尋問されて解かったんだけれど、日本に帰ってから食べ物があまりにおいしくて、ほぼ毎日スーパーの惣菜、しかも揚げ物ばかり食べていたのが悪かったのかも?という事でした。
なんか、普段揚げ物食べない人が、いきなり大量に摂取すると膵臓に負担がかかり、血糖値が跳ね上がるとの事。
その日から揚げ物禁止令が出され、スーパーに行っても横目で眺めるだけになりました。
まるで拷問。
薬はとりあえず一週間分処方してもらって、様子を見ましょう、という事に。
その一週間、揚げ物を一切食べず、お酒の量も半分にして再検査したら、血糖値は約半分の158mg/dl。
ヘモグロビンA1Cは0.2ポイント下がって、8.6%になって、少し安堵。
それでも、まだまだ高いけどねー。
結局、日本に住んでいないから、という事で特別に3ヶ月分の薬をもらったのですが、それを飲むと薬の副作用なのか、瞼が非常に重く感じたり、食欲がガックリと落ちたりと、大変難儀。
身体もだるくて、時々吐き気をもようしたりもする。
普段は病気になっても滅多に薬を飲まないので、身体が拒絶してるのかも?
でも、おかげで食が細くなって深夜のドカ食いも無くなり、この数週間で2kgほど痩せました。
食事を取った後、薬を飲むと急に眠気が襲ってくるのは少々不便だけれど。
そして、これで終わりと思うなかれ。
僕の病気ブログはまだまだ続くのです・・・
2009年8月8日土曜日
こっそり帰国
だってもう、日本には自分が住む場所無いんだもの。
という訳で、一週間前にコッソリとアメリカに帰ってきました。
今回は色々予定があって、毎日忙しい日々を過ごし、グッタリして帰ったのですが、その後一週間程は時差ぼけと、ただ今投薬している薬の副作用で(その話はのちほど)なんだかおかしい日々。
やっと通常の生活に戻りつつあるので、こうやってブログの更新をしています。
ところで、今回の日本行きの旅は散々なものですた。
マイレージでノース・ウェスト航空を利用したのですが、乗る直前になってなぜか飛行機がデルタ航空なのに気づいた。
もしかして、搭乗口間違えたのかしら?と思いつつも、テキトーに乗ってテキトーに座ったらOKだったので、大丈夫かな?と。
ていうか、最近の飛行機チケットって、2次元コードとか印刷されていて、ピピッと読み込んでくれるのねー。
日本までのチケットも、感熱紙みたいなペラペラのに印刷されただけのが一枚だけだしー。
3年前日本に帰った時には無かったテクノロジーの進歩に、ビックリしますた。
んで、飛行機の中に乗り込んで機内雑誌で、ノース・ウェストとデルタは合併した事がわかり、ああ、この飛行機は間違っていなかったんだ、と安堵したのもつかの間、この航空会社、ヤヴァクね?
機内が思い切り貧乏臭いんですけど?
今時、国際線なのに、前席の後ろにあるはずの小さな液晶TVが無い!!!
ま、まぢですかぁ~!!???
あたし、こんなのに乗ったの、12年ぶりくらいなんですけどー?
この先、12時間のフライト、どうやって過ごせばいいのか・・・
あと普通、飛行機のシートの頭があたる部分には、衛生的にするために白い紙みたいなのがあるじゃない?
あれすら、経費削減のためか取り払われているのよ!!
そんな、自分の前に座った人がポマードべっとりだったらどうすんのよー、って叫びたくなったわよ。
その後現れた、専属のフライト・アテンダント(って言うんですか?)にもびっくり。
なんかもう、この世に疲れ果てました・・・ みたいな形相で、眼の下にはドス黒い隈。
髪の毛はかろうじて整えているものの、額からいくつかの束がヒラリと降り立ち、幸薄い感がドンヨリ漂っておりました。
いったい彼女に何があったのかわかりませんが、そんな状態でも事務的に仕事をこなす彼女を見ていると、こちらまでドンヨリしてくるのでした。
あと他に、離陸直前になっても立ち上がっているお客に対して、「座ってよ!!!」と鬼の形相でブチキレているスッチーさんもいました。
ああ、コワイコワイ。
ていうか、機内食マズイんだよーーー!!
だってさー、メニューにある「季節の野菜の新鮮サラダ」なんて、これ一体何日前に作ったヤツ?と思うほど、色合いが変わってたもんねー。
「季節の新鮮なフルーツ」は、容器にゴロゴロと数粒のブドウが入ってるだけだし。
他の食事に関しては、もはや何の記憶も残っておりませんです。
そんな訳で、約5週間を日本(沖縄)で過ごし、帰路に発った訳ですが、成田でアメリカ行きの飛行機搭乗25分前に「あれ?そういえば、アメリカに入国する前にインターネットで何か申請しなきゃいけなかったんじゃなかったけか?」みたいな事をボンヤリと思い出し、デルタのカウンターで聞いたら、「ああ、ESTAの事ですか? 最悪、入国を拒まれる事もあるので、やったほうがいいです。ていうか、やらないといけないです。」とハッキリ言われ、あわてて下の階にあるコイン制のPCに100円玉を投入し、大急ぎで登録。
その間も、自分が乗る飛行機の搭乗手続きが始まっています、みたいなアナウンスが始まり、冷や汗がでた。
んが、後で調べたらコレ、ビザ免除対象者じゃん。
あたし、学生ビザ持ってるし、しかも、最低72時間前に登録って・・・・・・・
やった意味無し・・・・ orz
そんな訳で帰路についたのですが、さすが日本からアメリカへの路線は違いましたよ。
同じ航空会社なのに機内食はおいしいし、スッチーさんの気配りも丁寧。
でも、他のお客さんとは違い、なぜか僕には英語で話しかけていたのですが・・・・
あはははは、国際線だからしょうがないですよね?
決して顔が濃いからとか、そういうんじゃないと信じたい。
乗り継ぎの国際空港でも一波乱あり、イミグレーションでひっかかり、パスポート・コントロールに送られ、あやうく乗り継ぎのフライトを逃す所でした。
それというのも、6月にアメリカを離れた際、パスポートにホチキスで止められているI-94という紙切れを航空会社が剥がし忘れたので、書類上は僕はアメリカから出国していない、という事になっているそうな。
自分も日本に着いて、これ、なんで今でもパスポートに残っているんだろう?まあ、いっか!!
ぐらいに思っていたんだけれど、そんなに大事なものだったのねん。
ていうか、そんな大事なもの、とり忘れるなよ、航空会社!!
結局、イミグレーションのお兄ちゃんではどうしようもできない、という訳で、怪しげな人がウヨウヨいるパスポート・コントロール署みたいな所に送られ、「ああ、このままアメリカに入国できなかったらどうしよう・・・ この歳で学生だなんて、怪しまれても当然よね・・・」と、ドキドキしながら待つこと数分。
ベテランらしきおっさん職員が対応してくれ、何の問題も無く通過できますた。
ああ、良かった。
2009年6月20日土曜日
トマト屋?
なんでも、今週末はたくさんの種類の花の苗が、99¢の大セールだという。
お昼頃到着したお店の前には、駐車場に入りきらなかった車が、ズラリと路上駐車。
セール開催中のビニールハウス内は、物凄い人だかり。
たくさんのワゴンに、色々な種類の花の苗が置いてあるのだけれど、どれも花が咲く前の状態なので、何がなんだかわからない始末。
せめて、咲いた状態の花の写真一枚でも飾っておけばいいのに・・・・
おかげで、「うわ、この植物見たことある。花は咲いていないけど、きっとかわいい花を咲かすに違いない!」と思った僕推薦の花の苗も、「だってコレ、どんな花が咲くか、僕知らないしー・・・」と、奥歯に物の詰まったような言い方をするJに、もういいですとあきらめ。
この人、本当に自分が知っている確かなもの以外には疑惑を抱く人なんですよねー。
花の一つや二つ、冒険できないのか・・・
もういいや、どうせ何を言ったって聞かないんだし、と思って勝手に一人で歩き回ってしばらくして合流したら、奴が両手一杯にトマトの苗を抱えていた・・・
と、トマト・・・?
しかも、数えてみたら、合計32株もある。
そんなトマトを植えるスペースが、うちの何処にあるんじゃー!?
トマトって結構デカくなるし、一株だけでもたくさんの実が成る。
それが32株って・・・?
「あ、あんた、そんなにたくさんのトマト、どこに植えるつもり・・・?」
と質問するも、「これだけでたったの$4なんだよ! 安いでしょ! まあ、なんとかなるさ」との答え。
何とかなるの次元じゃないと思うのですがーーー!!! ????
でも、それ以外にもたくさんの花の苗を激安で購入したので、雑草に埋もれた我が家を綺麗にするために彼が働いてくれるのを期待しています。
え?僕は協力しないのかって?
だって僕、数日後には日本に帰ってるんだもーん。
日本から帰って、そのトマトの苗が全滅してたら、彼を「それみたことか!!!」と容赦なく責めるつもり。
きゃははははは!!!
2009年6月19日金曜日
突然ですが、4日後に一時帰国します
5週間しかいられませんが、その間に沖縄の離島に住んでいる両親の顔を見て、沖縄本島に戻り、最近不安になっている健康診断と歯の治療をするつもり。(ここアメリカで折れた前歯を治した際、他のも見てもらったら、全部の虫歯を治すのに合計約70万円以上かかると言われたよ・・・)
という訳で、少しずつ旅行に必要な物を揃えているのですが、どうしても必要なものがラップトップ用のケース。
選んだのは、あのスイスのアーミーナイフの会社のブランド。
久しぶりに自分の為に物を買ったので、すんごい嬉しいー!!!!!
なんで買い物するってこんなに楽しいんだろー?
ちなみにこれ、WAL-MARTで$59でした。
2009年6月18日木曜日
何かに刺された・・・
蜂とか蟻とか蜘蛛とか、そんなたぐいの虫に食われた感じ。
「イタイイタイ!!!」と叫びながらも、一旦踏み出したアクセルを止めることもできず、ガレージの壁に激突しそうになりながらも無事に駐車。
急いで、ガレージの中で着ていたTシャツを脱いで、パタパタしました。
うちのガレージは裏庭にあり、扉は自動ではなく手動式。
その扉を開けるために一旦車から出たときに、車のドアを開けっ放しにしていた隙に何かの虫が車内に入ったか、その作業中に僕の身体に張り付いたのか。
ここオハイオ州は、湿気が凄くてやぶ蚊は多いし、他の得たいのしれない虫もたくさん生息している。
気がついたら、ハエとか家の中にいるしー。
幸い、ゴキブリはまだ見かけていませんが。
ていうか、あたし、アメリカに来てから約8年経ちますが、未だに一度も家の中でゴキブリを見かけたことがありませんです。
働いていたレストランでも、全然。
なんで?寒いから?
2009年6月16日火曜日
お酒を買うという事
裏庭のやぶ蚊がひどいので、蚊よけに効くといわれているラベンダーの種と、今晩作る予定だったベトナム風生春巻きのソースを買いに。
でも、よく見たら僕の大好きな種類のワインが格安で売っている。
こりゃ買わなければ、と買い物籠に入れてセルフ精算所に行きました。
そこでは、アルコール類を買う際にはID(身分証明書)を、近くにいる店員に見せなければならないのだけれど、 どうも店員さん、初めてコロラドの運転免許証(もうとっくに期限切れ)を見て動揺したのか、僕の出生年月日が探せない様子。
しまいには、免許証を裏返してあの細かい文字なんか読み出し始めたので、「あ、あの~、生年月日ならここに・・・・」と小指を立てながら説明すると、「え!? あんた1968年生まれなの? そうは見えないから解からなかったわー。 きゃはははははは!!!!」と豪快に言われました。
ちょっぴり嬉しかった、今日の午後。
2009年6月15日月曜日
映画 The Hangover (二日酔い)
ファン吉ポンが病気になったのが今年の一月。
以来、彼の発作などの症状が気になるので、ほぼ毎晩、一階にあるリビングルームのカウチやリクライニング・チェアーで寝ていました。
もうその必要も無くなったので、約5ヶ月ぶりに2階にある寝室で寝るようになったのですが、やはり何か落ち着かなくて、夜中に何度も起きて癖のように一階のカウチに横たわってたりします。
昨夜などは、夢の中にファン吉ポンが出てきて、気がついたら泣いてたりしました。
それじゃあイカン!
いつまでもメソメソしててもしょうがないだろ!
自分の長所は立ち直りが早いことなはず。
ということで、気分転換に映画を見に行きました。
今話題の、公開2週連続で一位のコメディー映画、「The Hangover (二日酔い)」ですが、コレがもう、大爆笑の愛すべきバカ映画!!
結婚を2日後に控えた新郎と、その義理の兄になる予定の男(つまり花嫁の兄ですね)、親友2人(親友が2人って変ですけど・・・)4人で、バチェラーパーティーをしにラスベガスへ行ったものの、そこで巻き起こる数々のドタバタ喜劇。
新郎役は、「ナショナル・トレジャー」で、ニコラス・ケイジのアシスタント役をやった、あのかわいい男。
ほんの少しだけ胸をはだけるシーンがあったのですが、意外とギャランドゥーでビックリした。
でも彼、途中で行方不明になる役なので、映画の最初と最後だけしか出演しないから、あんま存在感無いんだよねー。
その新郎のバチェラー・パーティーを祝うために、一緒にラスベガスに来た他の3人。
朝起きてみると、昨夜の記憶がゴッソリまるごと抜け落ちており、ホテルの部屋はめちゃくちゃ。
何故かニワトリが部屋の中にいたり、虎がバスルームにいたり、挙句の果てにクローゼットに赤ちゃんがいるわで、皆大パニック。
それだけなら、「ああ、昨夜やんちゃしすぎたんだなー、反省しますー」って事になるのですが、悪いことに新郎が行方不明。
誰も記憶が無いので、昨夜何が起こったのか訳がわからない状態のまま、必死で翌日結婚式を控えている新郎である友人を探そうとする。
その中で、色々な手がかりやキーなどが見つかるのですが、その過程がものすごくおもしろい。
あと、何があっても絶対に友人を見捨てない3人が、見ていてとても心地よいです。
しかも、そのうち一人は物凄いイケメンだしー。
こういう事って、一見ありえなさそうで実は誰にでも起こりえうる(特にアル中の僕には凄く)事なのかもしれない、というギリギリ感が、男性の観客に受けて大ヒットしたのかな?
あと、物語の中に、さりげなーく、この旅で登場人物が成長した部分を見せたのも良い結果かも。
エンドクレジットに、それまでの消失記憶を補うようなデジカメ写真シーンが出てくるので、それはお見逃し無く!!!!
これだけでも、ずいぶん笑えます!!!
あと、この映画館のすぐそばにホーム・センターがあるのですが、帰り際に寄って見ると、ファン吉ポンの体毛の色に似た、素敵なオレンジ色の花の株とハロウィーン用のかぼちゃの苗があったので、思わず買ってしまいました。
もちろん、そのお花達は彼のお墓の周りに植えました。
2009年6月13日土曜日
最後のお別れ
ファン吉ポンが死んでから一夜明けた今日、鏡を見たら昨日泣きはらした眼が遮光器土偶のようになっていて、ビックリした。
頭痛と目まいが酷くてお昼まで眠っていたのだけれど、起きたらJがファン吉ポンのお墓に入れる花を買ってきており、裏庭に穴まで掘ってくれていた。
その後、2人で近くの街にあるGarden Centerに、お墓の上に植えるための花の株を買いに行った。
そこで、彼の体毛の色に似た黄色とオレンジの5種類の花を購入。
ファン吉ポンのお墓は、ガレージのすぐ横。
ここだと、車に乗る際にその花を見ていつでも彼の事を思い出せるかなー、と思って。
元々雑草が生い茂っていた場所なので、花購入後、家に帰って疲れたJが昼寝をしている間、やぶ蚊に足や手を食われながら、草を引き抜いた。
夕方6時ごろ、いよいよ最後のお別れ。
お墓の中に、彼が元気だった頃大好きだった小さな靴下型のおもちゃと、おやつ、かつおぶしのパックを入れ、たくさんのお花でファン吉ポンを覆ってあげた。
もうこれで彼の姿を見ることは無いんだ、と思うとやっぱり悲しい。
2人で最後のお別れをして、土をかぶせた。
でも、そのお墓の上にいろんな種類の花の株を植えていたら、少し元気が出てきた。
これから、この花が咲くたびに、彼の思い出が蘇る気がして。
コメントを下さった皆さん、本当にありがとう。
心から感謝しています。
2009年6月12日金曜日
ファン吉ポンが天国へ逝きました
病院では、血中点滴、血液検査、尿検査、X線写真などをしてもらい、お医者さんからの報告も受けて家に帰った。(もちろん、Jも同伴)
今日も治療があったのですが、その全国規模の病院、Jの職場に近いので今日は彼がファン吉ポンを出勤がてら病院に連れて行き、夕方引き取ってきました。
なんで病院で治療受けて悪くなって帰ってくる訳?
混乱しているうちに、ファン吉ポンの呼吸が荒くなり、そのうち呼吸の回数が少なくなったので、あわてて抱きかかえましたが、家に着いて10分後に、僕の腕の中でそのまま息を引き取りました。
今は、彼のお気に入りだったベッドの中で、静かに眠っています。
もしかしたら、病院に連れて行ったことで死期を早めてしまったのかもしれませんが、何故か少しホットしています。
たぶん彼は、虹の橋の向こうで元気一杯に走り回っている事でしょう。
明日は、彼の体毛の色に似たオレンジ色の花の株を買って、予定している裏庭の彼のお墓の上に植える予定です。
これまで、ファン吉ポンを応援してくれた方に、感謝します。
2009年6月9日火曜日
ビールの値段
というか、他に無い!!状態の小さな個人経営のお店。
とにかく、何もかもが新鮮度に欠け、肉なんかはすでに色が変わっているし、野菜も半分腐りかけているようなのを平気で売っている。
誕生日ケーキなんかも売っているんだけれど、「コレ、一体いつ製造したもの?ていうか、こんな店で誕生日ケーキ買う人なんかいるのん?」と疑ってしまうくらい、同じケーキが同じ場所に、冷蔵庫の中に何週間も鎮座しています。
客も客で、昼間から妙にドラッグやアルコールでハイテンションになった人達が入り浸っていたり、店の前で「YO! Buddy! 電話かけたいんだけどあいにく25¢無いんだよねー。持ってないけ?」みたいな人がいたりして、大変香ばしいエリアとなってます。
そんな場所行かなきゃいいんだけれど、そこは貧乏人御用達のお店、安いお酒がたくさんありまして、中にはアルコール度数10%のビール系のお酒なんかも売ってたりする。
しかも、他のお店に比べて酒だけは少しだけ安いので、お酒部門だけで結構繁盛している様子。
あと、州公認の宝くじも扱っており、その店に行くたびに、小銭をかき集めた一攫千金の夢を見るお客さんが列をなしています。
ちなみに、そのブースだけは現金を扱うからか、厳重に金網に囲まれた仕様となっておりますです。
あたしも買いたい気持ちは山々なのですが、ここの宝くじは色んな種類があってどうやって買っていいものやらサッパリわからないので、躊躇している始末。
とまあ、そんなラブリーなお店なのですが、今日も散歩帰りにお店に寄ってビールを購入しました。
トータルで、$6.08だったので、$6.10支払ったら、数ヶ月前から働き始めた中近東系のレジのおぢちゃん、なぜか$4.02のお釣りをくれました。
最初、「アレ?」と思ったけれど、ああ、きっと$5札で支払ったと思っていたのが、$10札だったんだね・・・
と思って、何も言わずに受け取ったんだけれど、家に帰って財布をチェックしたら、やっぱりなんか多い・・・
ていうか、$10札なんてあったけか?
あったとしても、ほとんど見かけないし、これは完全にレジのおぢちゃんの間違いじゃないのかと・・・
アワアワしましたが、これから届けても向こうとしても処理に困るだろうし、ここはバックレという事に。
でも、この先一週間はその店に行ったら、「あの金返せ」とか言われそうで、行けそうも無いです。
2009年6月8日月曜日
本日Wendy'sにて
目的は、99¢の5ピース入りチキンナゲットを2つと、アイスティー。
と思ったら、レジのおばちゃんが超笑顔で、「Hi, Sweety!!」と僕に向かって言い放ったので、ドギマギしてついチキンサンドイッチまで追加で注文してしまった。
こんな40歳越えて白髪タップリ、髭ボーボーで酒臭い、メタボ気味の中年おっさんに対して、「Sweety」と言えるのは何なんだろうか?
照れくさくて、お尻の穴がちょっぴりムズムズしましたです。
でも、それで次回「Wendy'sのチキンナゲット」が欲しい時は、この店まで運転するよ!と決めましたです。
その店では、レジのおばちゃんだけでなく、他のスタッフも凄く気持ち良い対応してくれたから。
なにしろアメリカでは、全国チェーンのファスト・フード店といえども、マネージャーによってかなり客への対応が違い、中には5分くらい店員同士のおしゃべりで注文を待たされる事もあるくらいですから。
まあ、そんな時はサッサと他の店に移動するか、思い切りうんざりした嫌な顔をしてトレイを受け取るかして、その店には2度と行かないようにしています。
2009年6月7日日曜日
Dayton廃墟廃屋その2
ここは、あのライト兄弟が経営する自転車屋があったりする歴史的な区域で、古い石畳の道路があったりします。
んが! その昔、いつしかそこは犯罪者の温床に。
逃げ出した住民の後に残ったのは、火事で焼けた歯抜け状態の土地と、ボロボロに朽ち果てた古い住宅。
こりゃあイカン、と、政府は助成金を出してこの地区の家の購入者への好待遇を持ち出しました。
税金とかすっごい考慮してあげるから、かわりにこの辺の家買ってね!
改装費とかもいくらか負担するしー。
そのかわり、家自体の形は壊しちゃ駄目!
だって、歴史的建造物なんだもの。(たぶん、100年くらい?)
購入した住民は、家自体のデザインは変えられないものの、外壁や内装などは自由なんだそうな。
だから、中には物凄く綺麗で魅力的に生まれ変わっている家もたくさん。
でも、正直言ってこの辺には住みたくないです。
だって、ほとんどがこんな感じ↓なんですもの。
↑は、元は小さな個人商店だったようです。
看板に書かれた、Sandwich、BEER、WINEとかの文字が物悲しい。
あと、すぐ横にある石畳もね。
昔は繁盛してたんだろうねー。
2009年6月6日土曜日
Dayton 廃墟廃屋その1
都内にあるオフィススペースの1/3が空き部屋で(本当は逆に1/3しか入って無いんじゃないかと思うけど)、例のサブプライムにより住宅を手放す人が後を絶たず、都内なのに周りは空き家だらけ。
そんな香ばしい街なので、廃墟廃屋マニアで無くとも、「う~ん、これはMOTTAINAI」と思わせる、素敵な物件がたくさんあります。
散歩がてらに写真を撮り始めましたので、これから少しずつ紹介していきますね。
尚、このような廃墟はドラッグの取引場所になっていたり、ホームレスの人が住み着いていたりして恐ろしくて中に入る事はできないので、外見だけの写真です。
まずは、我が家からDaytonのダウンタウン内に入る際に渡る、橋の上から見えるこの廃墟、元はレストランだったようです。
とても大きな建物で、川を挟んでDayton市内が見渡せ、後ろには巨大な駐車場完備。
レストラン横にはスタンドバーもあって、昔はかなり繁盛していたのかも。
大きなアーチ型の窓と、尖った屋根?が特徴的で素敵な建物だけに、こんな状態で見捨てられているのが非常に残念。
そのレストランの隣にあるのが、この古いアパート。
外壁は薄汚れ、レンガもあちこち剥がれているし、窓ガラスは割れて、窓枠は今にも崩れ落ちそうなくらいに腐っている。
最初、廃墟かなと思っていたら、中から人が出てきて誰かが住んでいる事が判明。
び、ビックラこきましたよ。
管理さえシッカリしてたら、高級アパートとして売れそうなのに、残念だわー。
この2つの物件、川沿いの遊歩道前という素晴らしい立地条件。
このまま朽ち果てていくのは、とても惜しいですねー。
2009年6月5日金曜日
Dayton 建物散歩その1
ほぼ毎日、30分~1時間は歩いています。
週末は、少し離れたフリーマーケットまで運転し、2時間くらいはそこでブラブラして時間を過ごすようにしました。
日本に住んでいた時は、住んでいたアパートから駅まで10分~20分歩くのは当たり前、職場近くの駅についても、さらに10分~20分は歩いていたので気づかなかったのですが、「歩く」というのは結構な運動量なのですね!
歩いた後は凄く汗をかくし、少しグッタリする。
ていうか、アル中の僕はそれまで毎日二日酔いの日々を過ごしていたのですが、それが歩くようになってからは、どんなに二日酔いがあっても歩いているうちに和らいでくるから不思議~。
頭痛薬よりか、よっぽど効きます。
でもその後、自分へのご褒美へと言い訳しながら飲むビールがおいしくておいしくて、結局意味ないじゃーん!みたいな?
と、話は長くなりましたが、歩いているうちに以前は大嫌いだったDaytonの街も、これはこれでおもしろいんじゃないか、と思うようになってきました。
古くて歴史のある街なだけあって、いろんな魅力的な建築物がたくさんあるのに気づいたんですねー。
かなり古い建物が有効利用されていたり、野ざらしにされていたり、車で通り過ぎるだけでは気づかなかった色んな面が見えてきますた。
そこで、これから少しずつDayton内の建物を紹介していきますです。
「ダウンタウンの巨大アパートメント」
かなり古そうなこの建物、ダウンタウンの川沿いに建てられていますが、巨大でしかも豪華。
中には、あのYMCAも入っていて、どんなセレブが住んでいるのやら興味しんしん。
でも、はっきり言って、ここ、住むには超不便。
だって、スーパーマーケットが近くに無いんですもの。
そんな僕は、川ひとつ隔てた所に住んでいて、やっぱり不便な生活を過ごしています。
「その隣の教会」
その豪華アパートメントの隣にある教会。
これも結構な歴史がありそうでとても美しい建物ですが、信者さんいるのかな?
見るたびに駐車場空っぽなんですけど?
あ、あと、写真に写っている電線のようなものは、路面電車ならぬ、Dayton名物の電気バス用のパンタグラフ?です。
2009年6月1日月曜日
UP
デズニーとピクサーのコラボ作品、「UP」をf封切日に観て来ましたよ!
最初、キャラクターの造形が好きじゃなかったので、観る気まったくナッシングだったのですが、僕が信頼する映画評論サイトROTTEN TOMATOES で、90%以上の支持を持っているので、半信半疑で観に行きました。
こ、これは良作!!!!
普段、映画料金はマチネー(昼間料金)だと$7.50なのに、$10.50を支払って3-D仕様の眼鏡をもらい劇場入り。
映画が始まって10分で、その3-D眼鏡が涙で曇りましたYO・・・・・
ひ、ひどい、こんなCGアニメで泣かせるだなんて・・・・!!!
始まってすぐに、いけすかないと思っていたビジュアルのキャラクター達が、話が進むにつれて物凄く魅力的に。
主人公というのが、亡き妻との思い出に浸って余生を過ごしているジイさんと、メタボ気味のあまりイケてない、名誉バッジの取得に執念を燃やすアジア系ボーイスカウトの少年(声優は日系アメリカ人らしい)という、冒険とは程遠いキャラ設定なのに、これがハラハラドキドキの連続。
特に、空中を飛ぶシーンや断崖絶壁でのアクションシーンなどは、3-Dという事もあって、あまりのリアルなシーンに高所恐怖症の僕はキンタマ縮み上がりましたですよ。
あと、高性能翻訳機首輪を装着したワンコ、Dugちゃんがあまりにもかわい過ぎるので、愛犬家は萌え死に覚悟で観に行ってください。
主演の2人の爺さん役を、ちゃんとした爺さん俳優が演じているのも好意的。
子供が居る方は、敬老の日にでもおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に見に行くといいかもしれません。
何しろ、最後のほうではヨボヨボだったジイさんが、インディ・ジョーンズばりに超老人力を発揮しますので!!!!!
2009年5月28日木曜日
City Life 2009
彼の彫刻は人物像をモチーフにし、大きさも等身大で細部まで徹底的にリアルに表現してあります。
手の甲の皺や、腕時計などの小道具、着ている服の質感など驚くほど緻密。
なのに、なぜか肌の色は黄金色と、少し変わった彫刻です。
あと、ほとんどの作品が、人間の普段の生活の一部を切り取ったかのような場面で、それにユーモアをちょっぴり味付けしているので、見ると思わずニヤリとしてしまいます。
以下に、僕のお気に入りの作品を紹介。
このために、昨日、今日とダウンタウン内を怖いおっさんに小銭をせびられながらも、歩いて写真を撮ってきました。
1.「Holding Out」
買い物帰りのマダム。 紙袋やフランスパンなど本物みたいですが、これも全てブロンズですよ。
こうやって交差点の角に立っていると、妙に生活感が湧き出てきます。
2.「Forever Marilyn」
説明不要ですね。
3.「Making a Point」
ゲイカップルのテニス・プレイヤーです。 (←嘘です)
ていうか、ファッションが70年代っぽいんですが・・・?
片方は、結構イケメン。
4.「God Bless America」
有名な絵画を彫刻にしたみたいですね。
5.「Crossing Paths」
2人のマダムが、ベンチで井戸端会議。
横に置いた紙袋も彫刻の一部。
この↓素晴らしいディテール!!
皺の一本一本、手袋、腕時計などの細部にいたるまで表現。
くどいようですが、これ全部ブロンズ。
6.「Unconditional Surrender」
これも有名な写真を彫刻にしたものですね。
7.「Gotcha」
チョキチョキチョキ・・・
植木は本物です。
誰かが、植木バサミの間に本物の枝を差し込んだみたいで、余計に本物の人間っぽくなってます。
知らなかったら、気づかずに通り過ぎてしまいそう。
8.「Building Better Neighbors」
セメントこねこねのおぢさん、NEW BALANCEの靴履いてます。(もちろんブロンズ)
2009年5月26日火曜日
発作が無くなりました
投薬を二つから一つだけにしてから約6週間、ファン吉ポンの発作は収まり、足取りもしっかりして、良く眠るようになりました。
でもそのためか、せっかく戻った視力がまた悪くなり、今は1~2メートル先の影程度しか見えないみたいで、たまに目の前の物体に頭をぶつけています。
あと、4週間ほど前、今までの苦しそうな発作とは違う、全身の力がヒョロヒョロヒョロ~と抜けていってそのままポックリ逝くんじゃないか、というような妙な症状が数回ありました。
おかしいなぁ?と思ってカレンダーに書き込んだ病状記録をチェックしてみると、ほぼ同時期にSimon君もひどい嘔吐と下痢になっていた事が判明。
トラッキングしてみたら、どうも、特定のブランドの、カニ肉入りネコ缶を与えたのが原因のようです。
考えてみたら、オハイオ州に引っ越してから、たまにそのブランドのネコ缶を与えるようになったのよねー。
他の2にゃんには何の症状も無いので気が付かなかったんだけれど、アレルギーかもしれません。
あと、そのネコ缶のラベルを良く々読んだら、Made in Thailandでした。
タイランド産の商品に文句を付ける気は無いのですが、1~2年前に中国から輸入した原料を使ったペットフードを食べたペットが相次いで死亡するという事件がアメリカ国内であったので、少し怖くなりました。
だってほら、中国とタイって凄く近いじゃない・・・?
もしかして、原料を中国から輸入してるかもしれないし・・・
これはもう、アメリカ製品しか与えちゃいけないんだわ、と思ったんだけれど、商店の棚に置いてあるペットフードは、大手ブランドでも結構他国産のが多くて、国内製品は限られてるのねん。
まさか、ペットフードまで海外で作っているとは思わなんだ・・・
以来、カニ肉入りネコ缶は絶対禁止にして、カリカリも缶もラベルをちゃんと読んで、アメリカ国内製品だけを与えるようにしたら、経過良好になりました。
ファン吉ポンはもう一ヶ月もあの苦しい発作を起こしていないので、僕もかなり安心しています。
2009年5月2日土曜日
面白ビデオ
「笑ったら負けよ」ゲーム
↑の動画には英語のサブタイトルも付いていて、外国人にもバカ受けみたいですね。
ジミーちゃんの天才ぶりに驚愕。
「図書館でバツゲーム」
図書館内なので、あわてず騒がずがルールのようで、皆が笑いを必死に押し殺している様子が、逆に笑いを誘います。
個人的には、最後の「甘噛みジジイ」がド壷に入りました。
それにしても、後ろで何があっても淡々と本を読み続けるエキストラの人達も、ある意味凄いかも。
二つとも超おもしろくて、腹がよぢれるほど大笑いしますた。
2009年4月21日火曜日
2009年4月14日火曜日
マンホールの穴、続編
4月14日午後、ファン吉ポンの様子も良いので、二階のベッドルームで昼寝をしていたら、3時頃にピンポーンという音。
それが2回くらい続いたんだけれど、どうせ「バス代が無いので恵んでください」とか、「うちの家族がすぐそばの病院に入院しているんだけれど、お見舞で何か買ってあげたいから、いくらか寄付を・・・」とか、「あなたは神を信じますか?」系だと思ったので、カジュアルに無視。
そしたらその夜、ダーリンJから驚愕の事実を聞かされました。
実は、その事故があったコンドミニアムの女性管理人(たぶんレズビアン)と、Jは仲良し。
近所の色々な情報も教えてくれるので、Jは、たまに出先で買った彼女のお気に入りのコーヒーなんかを差し入れしています。
その彼女から、夜、Jに電話があり、「あのマンホールに落ちた女、今日あなたの家のあたりウロウロしてたわよ。 最初、玄関に行ったけど出なかったから、次は裏庭のガレージに行って、あなたのお友達(つまり僕)が家にいるかどうか確かめていたみたい。どうやら、賠償金を受け取るために、どうしても目撃者のPOMとコンタクト取りたかったか、どの部屋に彼が住んでいるか確かめたかったらしいわね。」
とのこと。
ひ、ひええええぇええ~、こ、怖いよぉ~、((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル・・・
聞けば、管理会社は彼女に対して、医療藩を送って診察する事を申し出たのだけれど、彼女はそれを断ったのだそうな。
たぶん、あわよくばもっとたくさんの賠償金をもらおうと思ったのかもしれないけれど、医療記録がないと、保険も何も降りないような気が・・・
法律に詳しいJは、彼女はコンドミニアムの管理会社の保険から、いくらかの賠償金をもらおうとしているだけだ、というのですが、そんなに楽観的になれない僕は、「もしかしたら、彼女は裁判にかけるかもしれないし、その程度で国の税金を使って訴える事なんてできるの?」と聞いたら、「たぶん無理。だって、擦り傷程度でしょ?しかも、診察を拒否した時点でOUT!」との事でひとまず安心。
たしかに骨が折れたとか、歩けなくなったとかのシリアスな怪我じゃなかったからねー。
そのマンホールに落ちた女性、管理人によると以前から問題を起こしており、管理人には頭痛の種だったみたい。
2ヶ月くらい前には、うちの家の前に粗大ゴミのマットレスを運び込み、さも、我が家のゴミです、みたいに市当局に連絡して処理しようとしたらしい。
ちなみに、一年に破棄できる粗大ゴミは、一家において数が限られており、それ以上になると追加料金を払わなければならないのですが、そのビッチ、それを払いたくなかったみたいね・・・
幸い、その際はコンドの管理人が気づき、「あんた、そんな事しちゃ駄目よー!!!」とイサめたらしいのですが、彼女は憤慨。
でも実は、これが最初では無くて、僕達がこの家に入居する前にも度々あった事だとか。
とまあ、被害者はそんなビッチな訳でして、ダーリンJは、「もし彼女がまた家に来て、君の名前や電話番号などの情報を知りたがっても、教えては駄目! もしそれが裁判に必要だからというなら、その弁護士オフィス、または保険会社の電話番号を聞いて、こちらから連絡しますから」と言いなさい、とアドバイス。
でも、そんなビッチ相手に太刀打ちできるのか、全然自信がありませんです・・・
2009年4月11日土曜日
マンホールの穴
今日は土曜日で、ダーリンJが家にいてファン吉ポンの様子を見てくれるので、気晴らしに外に出かける事に。
ガレージから車を出して出発しようとした時、「あーっ、あーっ、ウオォオオー!!!」という声が聞こえた。
何事かと思ってお隣さんを見たら、中年の女性がマンホールに片足突っ込んではまってた!!!
お隣さんは、うちと同じ位古い、築約100年のコンドミニアム。
その裏庭というか建物の裏側には階段があり、住民がよく出入りする所で、彼女もいつものように外出しようとした所、マンホールの蓋を踏んだ瞬間に蓋が反転して、片足がスポっと入ったようで。
「だ、大丈夫ですかー!?」と声をかけたら、「だ、大丈夫・・・・」と返事がきたものの、自分では起き上がれない様子。
あわてて駆け寄り、肩をかして起こしてあげた。
彼女は物凄く憤慨しており、「コレ、管理会社は直しておくべきよ!!!」と叫んだ。
とりあえず、彼女に骨折がないかどうか確認して、外れたマンホールの蓋を直したのだけれど、それがかなり古くて、淵のとっかかりが数センチも無く、またいつ外れるかもしれない危険な状態。
しかもこの穴、物凄く深くて、少なく見積もっても2~3メートルはあったんじゃないかな?
コレ、もし子供だったらそのまま下に落ちて、大変な事故になってたハズ。
思わず、「これは酷いですねー、危険すぎます」と彼女に言うと、「でしょー!!」と、怒り覚めやらぬ様子。
よくよく見ると、彼女の手や足には痛々しい擦り傷が。
その後、彼女は僕にお礼を言い、自分の部屋にヨロヨロと階段を登っていきました。
しばらくして出先から帰ってきたら、そのマンホールの付近には、TVドラマなどでよく見る黄色いテープが巻かれており、人が踏まないようになっていました。
これって、もしかして訴訟とかに発展するのかしら?
そしたら、アタシも証人として出廷するのん?
なんか知らないけど、ワクワクしてきた・・・・
あ、でも、起き上がるのを助けた時に、彼女の身体を確認もせずに触った(腕だけですけど)って事で、逆に訴えられたりして・・・・
アメリカじゃ良くある話らしいし・・・・・ ((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
補足:昔、カレッジでCPR(心配蘇生法)のクラスを受けた時、教授が色々な事例を挙げたのですが、よかれと思って助けたら、逆に訴えられた件がたくさんあるようです。
例1:レストランで食事中の老夫婦、夫人が喉に何か詰まらせ呼吸困難になっているのを見た他のお客さんが、すぐさま後ろから抱きかかえて胸を圧迫する方法のCPRを行い、無事異物を吐き出して命を救いました。
その間、その老婦人の旦那は何もせず、見ているだけ。
普通なら感謝するべきですが、しばらくしたら、その助けた人に、旦那の許可なく夫人の身体を触ったというセクシャルハラスメント容疑の裁判所通告が来たそうな。
例2:登山中に怪我をし、出血が止まらなかった仲間の足を止血のために、紐だかバンダナで結んで抱えながら下山。
しかし、結び方がちょっときつかったようで、血液の循環が悪く下界に付く頃には、その足は壊死。
結局、切断せざおえなくなり、患者はその件で自分の命を救った友人を告訴。
例3:自殺しようとした人を助けたがために、逆に告訴。
とか、色々恐ろしい話を聞きました。
そのクラスで教わった事で一番重要なのは、誰かを助ける時は、「私は今からあなたを助けます。その為にはあなたの身体に少しタッチしなければなりません。よろしいですか?」と、苦しんでいる人に問いかける事なのだそうな。
そんな、息も絶え絶えな人に言っている暇なんてあるのかいな?と思うのですが、そうでもしないと助けたつもりが、逆に加害者にもなりうるらしいです。
凄い国ですね、アメリカって。
2009年4月10日金曜日
一気に好転!
明日をも知れぬ状態だったファン吉ポンですが、一気に好転しました!!!!
それというのも、だいぶ昔働いていた動物病院の先生が言っていた、「薬を抜くといい事もある」という言葉を思い出し、それまで投与していた2種類の薬(人間用)と点滴を一時的に止めたのです。
考えてみれば、彼の体重は3kgとちょっと。
それに、朝晩二回、2種類の薬と、約1~2日おきにする点滴はキツかったのかも。
お医者さんはOKというか、むしろやってくれと言ってたんですけどねぇ・・・・?
兎にも角にも、薬を止めて数日経ちますが、かなりの前進です。
なにより、以前と違いたくさん食べるし、その後も吐かない。
頭もハッキリしている様子で、水も良く飲むし、数ヶ月ぶりにグッスリと眠っている。
彼はこの数ヶ月間まともに眠れず、ウツラウツラしたかと思うと、ハッと起き上がり、グルグル廻って座り・・・、の繰り返しだったので、それこそ猫の様に丸くなって眠る姿を見て物凄く安心しています。
最近は眼にも生気が宿り、足取りも力強くなり、ちょっとずつですが、大好きだったおもちゃにも臭いをかぐなど反応しています。
ただ、薬を止めたせいで視力が弱まったのか、たまに歩いている時や振り向いた瞬間など、物体に頭をぶつける事もあるので、高血圧用の薬はこれから少しずつ与えるつもり。
これが医療的に正しいのかどうかはわかりませんが、少なくとも彼は以前と比べて気分が良いらしいので、様子を見ながら続けるつもり。
ていうか、もしかして僕達が投薬したせいで彼の具合が悪くなったのでは・・・、と思うと、申し訳無い気持ちで一杯なのです。
2009年4月7日火曜日
一退するばかり
この手の話が苦手な人は、スルーしてくださいね。
4月5日日曜日の夜、点滴後の彼の様子がおかしい。
まともに歩けなくなり、夜11時30分頃にカバー付き猫トイレの中に引きこもった。
ひどく具合が悪い時のサインだ。
10分後、ようやく出てきた途端に、物凄い量のゲロ。
ヨロヨロとリビングに戻ると、リクライニングチェアの後ろに隠れるように倒れこみ、そこで発作。
2階にいる、ちょうどベッドに入ったばかりのJを、大声で叫んで起こした。
今回の発作は今までよりとても酷くて、「今度こそもう駄目だ・・・」と、2人とも思った。
何度も何度も繰り返す発作の合間は、「ハッ!、ハッ!、ハッ!!!」と顔を苦しそうにゆがめ、本当に息も絶え絶えな感じで、小さな彼の心臓は飛び出るんじゃないかと思わんばかりの早さで鼓動していた。
この時ばかりは、本当に覚悟した。
それでも数十分後、何とか持ちこたえてくれた。
その日からほぼ徹夜で彼の事を見張っているけれど、翌日はほぼ何も食べず、水さえ飲まなかった。
座ることもままならない状態なのに、トイレにだけはヨロヨロしながらも行きたがるんだね、えらいよ、ファン吉ポン。(僕が抱きかかえて連れて行ってます)
今日は水をたくさん飲んで、ほんのちょっとだけどごはんも食べた。
足取りも、昨日よりは少ししっかりしたかな?
でもやはり、頭がボーっとしているみたい。
約2年半前に彼を保護した時は半分死に掛けており、このまま死なせてなるものか、と2人で頑張ったけれど、その後元気になっておもちゃで遊ぶ姿など見てホッとして、そして今の彼が苦しむ様子を見ていると、もう頑張らなくてもいいから、少しでも早く、そして楽に天国に行って欲しいなぁ、と思わざるをおえないのです。
彼があとどれだけ生きられるかわからないけれど、その間できるだけ一緒にいてあげて、最後の時は僕達の腕の中で逝かせてあげたいです。
2009年4月1日水曜日
一進一退
最近のファン吉ポンは、具合が良い日は良く食べ、良く寝たりするのですが、そうでない日はほとんど飲まず食わずで、眠ることもできない様子で、一進一退を繰り返しています。
そんな彼は、昨日からほぼ一日中何も食べず、例の喘息が続いてベッドから起き上がるのも困難な様子。
嫌な予感がするなぁー、と思っていたら、午後6時40分頃に突然発作を起こした。
Jがファン吉ポンの発作を目撃したのはこれで2度目。
ファン吉ポンを毛布に包み、椅子に座ってマッサージしながらしばらく抱いていたが、どうも下に降りたい様子。
10分後、またしてもカクカクした動きが始まり、新たな発作。
そしたら、ヨロヨロと歩きながら、キッチンから裏庭に続くドアに歩いて行き、外に出たがる様子。
しばらくポーチの上をウロウロし、そこから2段の階段を降りた彼は、土のある場所へ行き、おもむろにしゃがみこんでウンPをした。
ビックリしたのは、その後何もなかったかのような足取りで、すぐさま家の中に入り、カウチに座っていたJの隣にジャンプしてスヤスヤ眠った事!
↑の写真は、数日前に撮った、裏庭のポーチでまったりするファン吉ポン。
2009年3月24日火曜日
駄目かと思った・・・
朝9時ごろ、カウチで寝ていたファン吉ポンが、ゲロを吐きたがる様子だったので、下ろしてあげた。
そういえば、今朝はカウチから降りて水を飲みに行ったり来たりを何度も繰り返し、なんだか普通じゃない。
2回程吐いた後、彼はヨロヨロと歩いて普段は行かない場所にヘタリこんだ。
そんな彼は、ブルブルと振るえ、目はうつろ。
「これは来るな」と思い、毛布でくるんで抱きかかえた途端、発作は起きた。
今回は物凄く酷くて、このまま死ぬんじゃないかと思ったくらい。
眼をカっと見開き、半開きの口からはヨダレが流れ、四肢はピーンと張り詰め、身体中が痙攣しつつ、上半身と下半身が違う方向にバッタンバッタン動く感じ。
それが5回6回と約20分間続き、その間には息もできない様子で、ゼーゼーといっていた。
彼は毛布の中で失禁した。
あんまり苦しそうだったので、もうこのまま逝ってもいいよ、と思った。
しばらくして落ち着いた彼は、二階に上がったり地下に行きたがったりと、あちこちをヨロヨロ歩き回り、隠れ家を探している様子。
お医者さんが言った、「猫ちゃんは、できるだけ自分が具合が悪いのを隠したがるのです」という言葉がよぎり、死に場所を探しているのか、と恐ろしくなって全ての階段へのアクセスをつい立てで遮断した。
発作の後、ダーリンJに電話で報告したら、昼休みを利用して、自宅点滴をしにきてくれた。
でも、あまりに彼が痩せ過ぎており、刺した針から点滴が漏れたりしてうまく注射ができず、4回も刺す事になった。
ごめんね、ファン吉ポン。
動物病院の先生も、この発作の原因はわからないので、点滴以外何もできることはないそうだ。
点滴後、気分が楽になったのか、ファン吉ポンは今ずっと眠っている。
↑の画像は、数日前に撮った、めずらしくファン吉ポンとマルちゃんが仲良く写っている場面。
2009年3月23日月曜日
「おくりびと」ハッケーン!
2009年3月20日金曜日
稲荷と発作の日
Jは5時半ごろ、僕は朝6時半ごろに起きのですが、眠い眼をこすりつつキッチンに行くと、大小の炊飯器2台を使って合計8合もの飯を炊いておりましたよ、あの人。
いったい、いくつの稲荷を作るつもりなのか・・・
その後、「僕は今からシャワーを浴びて髭も剃らないといけないから・・・」とか言いつつ、バスルームに消えた奴。
結局、僕が全部やらないといけない訳ね・・・
とりあえず、5合の酢飯を作り、稲荷に米を詰め込む作業をしていたらやっと現れた奴。
時間も迫っていたので、2人して黙々と米を詰め込む作業に専念。
それはまるで稲荷寿司工場のような有様でしたが、8時前には50個以上のお稲荷さんを無事に作り終えました。
途中、「稲荷」ってどういう意味?なんて聞かれたのですが、「さぁ、キツネって事じゃない?ほら、街中に小さな神社みたいなのあるでしょ?あれを稲荷って言うし、キツネはこの油揚げが好きなんだYO!」とテキトーに答えておきました。
文化摩擦が起きない事を祈っています。
そんなこんなでJを送り終えた後、ちょっと疲れたのでカウチで横になろうとしたら、いつもそこにいるはずのファン吉ポンがいない。
どこにいるんだろ?と思ったら、ダイニングのいつもは他の猫にゃんが眠るベッドの中に居る。
そういえば、今朝はあまり食欲がなかったなー、と心配になったんだけど、そのままカウチで寝た。
昼の12時頃、巨体のMikoちゃんがやってきて、僕の腹の上に乗ったり、顔を舐めたりし始めたので止めるように言ったのだが聴く耳もたず。
あまりしつこいので、2階のベッドルームに移動した。
寝ているのか起きているのかわからない、ウツラウツラした状態でベッドの中にいたのだが、午後2時ごろ階下から「バッタンバッタン」という例の激しい音が聞こえてきた。
あわてて飛び起き、パンツ一枚の姿で一階まで降りると、ボーゼンとした状態のファン吉ポンと、彼が吐いたと思われるゲロが床の上に2箇所。
彼は歩こうとするにも、ヨロヨロとしてまともに動けない様子。
そのうち、発作の前兆のカクカクとした痙攣のようなものが始まったので、あわてて毛布にくるんでリクライニングチェアに座ってマッサージしてあげた。
1時間ほど座っていたんだけれど、その間、2度軽い痙攣を起こした。
最近の発作は10日前、さらにその2週間前にも一度。
彼の発作にはだいぶ慣れてきたとはいえ、やはり動揺する。
もしかしたら、この間隔が縮まってくるかもしれない、という不安がよぎるけれど、なんとか持ちこたえてくれないかなー・・・
2009年3月18日水曜日
凍った猫
もう大分前の話になりますが、近所の野原で猫の死体を見つけました。
とてもかわいそうに思いましたが、その際は、たぶん飼い主が探していていつか見つけてくれるだろう、と思いそのままにしました。
なぜなら、2005年に僕達の飼い猫Tomo君が行方不明になってから3日後、あちこち探し回ってようやく、近所の散歩コースの脇の草むらに横たわっている彼の遺体を見つけた時、物凄く悲しかったけれどその反面、何故かホットしたから。
あのまま、遺体すら見つからず、生きてるのか死んでいるのかわからないまま過ごすのは辛すぎたのでした。
彼が横たわっていた場所は、かなり目立つ場所。
たぶん、その散歩コースを利用する人達もそれをわかっていて、ソットしておいたのでしょう。
1週間経ってもそのままなら何とかしよう、と思いつつ、ファン吉ポンの病気や色んな事が重なって、その不憫な猫ちゃんの事はすっかり忘れてしまいました。
んが、この間氷点下の雪の降る中、近くのコンビにへ歩いてビールを買いに行こうとした時、ふとその時の猫ちゃんの事を思い出し、そこまで行ってみたのですが・・・
そのままの状態で凍ってました・・・
あんまりかわいそうだったので、一旦家に帰り、シャベルと紙袋を持ってきて袋の中に入れようとするも、カチンコチンに凍っていて大変難儀しました。
その死体、かなりの日数が経っており、臭いがキツイので外に置くことに。
外は氷点下なので、自然の冷凍庫のようなもので。
もしかしたら、この死んだ猫ちゃんもチップを埋め込んでいて、飼い主が探しているかもしれない、という事で、ダーリンJがアニマルシェルターまでソレを持って行き、スキャンしてもらいました。
でも、残念ながらチップは見つからず。
家の裏庭に埋めてもよかったのですが、見ず知らずの人の家に埋められるよりか、同じ仲間がたくさんいるの所のほうがいいかなぁ、と思って、市のサービスにお願いしました。
ダーリンJが市当局に電話したら、「お宅の家の角のへんに置いて下さい。そのうち取りにきます」との事だったので、猫ちゃんの遺体をダンボール箱に入れて、さらに上に新聞紙を重ねて置いていたのですが、一向に来る気配がない。
次の日もその次の日も来ずに、その間に雨は降るは気候は暖かくなってくるわで、そばを通ると悪臭がするわで、大丈夫かいな?と不安な毎日。
んで、5日目くらいにやっときましたよ!
それでやっと安心した訳ですが、たぶん、近所の人達は、あたし達の事を「こいつら、自分の猫が死んだらゴミみたいに捨てる人なんだわ」とか思っているに違いない・・・
いや、それ、うちの猫じゃないんだけれど・・・
と、何か言いがかりを付けられた時のために、↑の写真を撮っておきました。
2009年3月17日火曜日
ファン吉ポンの喘息
1日2回の投薬のおかげで視力も回復し、よく食べ、よく寝て、良くウンPもするようになったファン吉ポンですが、甘やかしたせいか、おやつ的にあげていた豪華なカリカリ(栄養的には問題ないらしい)しか食べなくなった。
これ、普通のカリカリの値段の何倍もするのですが、ダーリンJ涙目ながらもイソイソと買ってくる。
あと、だいぶ良くなったとはいえ、↑のように油断するとゼーゼーと咳のようなものが、3~6時間も続いて、見ていて辛い。
コレ、保護した当初から度々ある症状なのですが、最近はなぜか多発。
しかも、なぜか投薬後にご褒美代わりにするブラッシングをした後に起こるので、最近は恐る恐るしています。
彼はブラッシングが大好きなので、やめられないのよねー。
でもこの間は、この症状の後、夜中に発作を2回起こしました。
今、ファン吉ポンのベッドは、家の中で一番温かいダイニングルームの中。
だから、僕も何があっても気がつくように(発作が起きるとき、バッタンバッタン!という激しい音がする)、隣にあるリビングルームのカウチの上で寝ています。
本当は一緒にベッドルームで眠れたらいいんだけれど、2階にあるベッドルームは何しろ寒い。
それに、昼間はほとんど1階にいる事が多いので、ベッドルームだと眼が届かないかなー、と思って。
ところが、カウチで眠っているせいか、持病の腰痛が再発してきました。
なんか、腰周りに鉛のベルトを巻いている感じというか。
こりゃやばい、と思いかけてきた時、元気になったファン吉ポンが、以前大好きだったカウチに飛び乗って眠るようになりました。
といっても、カウチに寝ている僕の腹の上にですけれど。
んで、「こりゃヤヴァイ、この腰痛もっとヒドクなる!」と思ったものの、かわいいファン吉ポンのため、数日間我慢して、寝ている彼を少しずつ股、膝、足元へと日々移動しつつ、最終的に足元横側に着地させて眠らせる事に成功。
今は自分の居場所を確定したのか、他の猫にゃんがそこに居ると、ガンを飛ばしてそいつが居なくなるまで頑張っています。
でも、あまり効果は無いようなので、僕が介入して他の猫を追い払い彼の居場所を作ってあげるという、超過保護ぶり。
一番弱くて頼りなくて、一番年寄りなラブリー猫なんだけれど、できるだけ長く命を全うさせてあげたいなー、と思う今日この頃。
2009年3月3日火曜日
ご近所さんの性犯罪者
試しに、自分の住む地域を入力したら・・・ ↑の画像のように、1295件のヒット!
さらにググっと接近した地図を見ても、229件のヒット。
ていうか、うちの近所、歩いていける範囲にこんなに性犯罪者がいたなんて驚き。
常々、「この辺なんか殺伐とした空気が漂ってるなぁ~」と思っていたのは、気のせいではなかったのか!
ちなみに
赤色マーク=子供に対する性犯罪者。
黄色マーク=強姦魔。
青色マーク=暴行犯。
だそうです。
このサイト、引越しや家の購入時などに事前情報として役に立っているそうです。
2009年3月1日日曜日
ジェイソン・ステイサムのジャケットプレイ
禿げ頭がセクスゥイーな、今僕が最も萌える俳優、ジェイソン・ステイサム主演、「Transporter 3」からジャケット・プレイ・アクションシーン(実際はスーツなんだけど)を抽出しますた。
ヒロミ・ゴーを彷彿とさせる、ジャケット・アクションを得とご覧あれ!
ていうか、そんなのと比べるなという苦情がきそうですが・・・
細かいことは書きませんが、映画は結構面白いです。
脇のビッチ女さえいなければ。
こんな女の為に命を掛けるジェイソン様の気がしれない。
ところでこのシリーズ、主役のジェイソン様が、どんどん無敵のスーパーマン化してきて、この後どこまで行き着くのか気になる。
そのうち、サイボーグ化するんじゃね?
2009年2月28日土曜日
クイズ・シュリオネア
2009年2月27日金曜日
ヒュー・ジャックマンの水浴び
映画「Australia」から、ヒュー・ジャックマンのバケツでの水浴びシーンを抽出。
さすが、花園チームのバズ・ラーマン監督だけあって、視聴者の心がわかってらっしゃる。
ノンケの監督だったら、ここは普通二コール・キッドマンの出番だよね?
撮り方もネットリしてて凄くいやらしいしー。
映画はなんとなーく中途半端な感じで、ヒットもしなかったんだけれど、それもありなん。
タイトルの「Australia」ってから、壮大なそれはもう紀元前からのお話かと思ったら、第二次大戦中限定のお話なのねん。
それだけでもガックリきたんだけれど、物語の中枢は、美貌の二人が牛を追って船に乗せる、という、まるで地味なお話。
日本だったら、「月の砂漠牛追い祭り」って題でいいんじゃね?
あと、気になったのが二コール、あんな灼熱の砂漠で牛追いの仕事しても、日焼け一つしない、湯上り卵肌なんですけど?
あの時代にSK-IIなんてありましたっけ?
ていうか、牛追いって実際には大変な仕事なんだろうけんど、ビジュアル的にイケてる2人を使うのは映画的にどうかと・・・
やっぱ、この辺は辺に恋愛物にせずに、モッサリした親父俳優にまかせて欲しかったなぁ。
あと、、大戦中の日本人が物凄く悪者に描写されているのも気になった。
本当にこんな出来事あったのー?
とまあ、色々言っていますが、実はこの眼福シーンが見れただけで、ずいぶん満足なのです。
きゃはははは!!!
2009年2月23日月曜日
デムパ増幅方法
ご家庭でワイヤレスのインターネット接続をしているものの、ルーターの電波が弱くてイライラしている人、たくさんいると思います。
かくいう我が家もインターネットはケーブル接続なのですが、2階のパソコン部屋にラインを引いたのが運の付きで。
引っ越した夏にはわからなかったのですが、この部屋冬になるとめちゃくちゃ寒い!
ノートパソコンを使っている僕は、一番温かい一階にあるダイニングルームに移動。
古い2003年型VAIOのデスクトップを使っているダーリンJも、あまりに寒すぎて自分の書斎にそのPCに数年前に買ったまま放置していたWi-Fiカードをインストールして移動しました。(まあ、やったのは僕ですが)
んが、どうも電波の入りが悪い!
僕のノートパソコンなんて、電波バー(っていうの?)が、5本のうちたったの2本しか立ってないのですよ、奥様。
それに最近、YouTubeなんか見てるとあまりの遅さにイライラして、途中で挫折してしまうことも多々。
Jも同じように感じていたようなので、どうにかなかんべ?と思っていた所に、素晴らしいサイトをみつけましたYO!
それはここ。
なんと、家庭にあるごく普通の物を使用して、Wi-Fi電波を増幅してしまおう、という眉唾物のお話し。
まさかねー、そんなウマイ話ある訳ないしー、とか思いながら、10分もあればできる小学生の工作のような物なので、試しに作ってみますた。
それが、上の写真。
結果・・・・
オーマイガー!!!
し、信じられない!
こんなダンボールの切れ端とアルミホイルでできた物で、電波受信が1.5倍から2倍になったYO!!!
これを装着した途端に、受信のアンテナ・バーが2本から3本、そして4本へと変化しました。
そして、インターネットへの接続も今までより遥かにサクサク!
これホント、嘘じゃありませんよ。
作り方は超簡単。
テンプレートその1かその2をダウンロードし(開いた後右クリックで保存)、その後100%の比率で印刷。
上部にある「Side Length」の長さに合わせて、正方形にダンボールを切ります。
その正方形のダンボールにアルミホイルをかぶせ、セロテープか糊、またはご飯粒で接着。
この後が重要!
その正方形の板を、テンプレートにある図に合わせてグイグイとカーブして固定します。
今回、手元にテープがなかったのでなぜかしぶく凧糸を使いましたが、セロテープとかでも問題ないと思います。
あとは、カーブの頂点からルーターのアンテナ部分(Focal Point)との距離も重要なので、その辺もしっかりしましょう。
発砲スチロールなどを扇形に切り取ってやる方法が主流なようですが、私はたまたま家にあったプラスチックの包装箱を解体して使用しました。
これだと透明だから簡単にテンプレートの上に乗っけて型が取れるし、ハサミで楽に切れる。
それに、Focal Point部分はカッターで十字に切り込みを入れて、ルーターのアンテナの上からグイっと押すだけで、自然に固定されて便利。
後はそれに合わせて、ダンボール製アンテナをテープやグルーなどで接着すれば、カスタム・電波増幅器の出来上がり。
この増幅器、フラットな金属板、たとえばブリキとかトタン板とか、缶詰の缶だって何でも応用できるそうです。
プリングルスの内側部分でもできるそうだよ。
宇宙から変なデムパ受信しそうだけんどね!
今回、小さいテンプレートで、しかもアルミホイルを使用したにもかかわらず、今までのほぼ2倍の電波を受ける事ができました。
これの制作費、ほぼ0円!
こんどは、ハードウエアストアーに行ってよさげな材質を探してきて、もっと大きな物に挑戦しようかなぁ・・・?
Wi-Fi電波が少なくてお悩みのアナタ、騙されたと思って試してみてくだされ。
ただし、思ったような結果がでなくても、あたしは責任もちませんけど。
2009年2月12日木曜日
ゲッダン
物凄い風の音に、「また停電になったら困るなぁ~」と何気に外を見たら・・・
家のまん前の電線から、緑色の火花がバチバチっと!!!
ビックリしてダーリンJを呼んだら、その瞬間街灯が消え、家のすぐ近くの交差点の信号機も消えた。
そこはすぐ近くに大きな病院があったり、フリーウェイへの入り口があったりと交通量の激しい交差点なので、Jが911に報告。
しばらくしたらパトカーがやってきて、車の上にあるあの赤とと青のライトをクルクル廻して、ドライバーに注意をうながしていた。
今日になってもう直ったかなぁー?と見たら、簡易のSTOPサインが個々のコーナーに置いてあるだけで、そのまま放置だよ、おい。
大丈夫かいな?
ところで、最近ハマっているのも、それはコレ↓「ゲッダン」。
冬の女王、広瀬香美の名曲「Promise」に合わせて踊り狂うというビデオなのですが、妙なおかしさがある。
このビデオ大変人気で、↓のような亜種もたくさん存在するので、YouTubeで「ゲッダン」で検索してみるといいかも。
再生中に一時停止すると、一粒で2度楽しめるよ。
ちなみに、元ネタはこちら↓
2009年2月11日水曜日
ファン吉ポン視力回復する
2009年2月7日土曜日
すげえよ、デジタル放送
でも、こないだダーリンJがデジタル放送用のコンバーター↑を買ってきました。
で、このコンバーター、今日さっそく繋げてみたら・・・・
依然とは比べ物にならない、というか、まるでケーブルや衛星放送のように超クリア!!!
ていうか、こんな小さな箱の中でナニが行われているのか不思議~!
2009年2月5日木曜日
Kitchen Aid
数年前、「コレずっと欲しかったんだけど、今日セールしてたから思わず買っちゃった。ルン♪」みたいな感じで、ダーリンJが持ってきたのがこのミキサー。
KitchenAidブランドのミキサーなんですが、数十年も変わらぬデザインと品質で、アメリカでは日本の炊飯器と同じくらい重要なアイテムなご様子。
でもこれ、数100ドルもするんですけど?
こんな、ただ物を混ぜるだけのものが?
と、冷ややかに見ていたのですが、どうもこれスグレモノなようです。
なんといっても、アタッチメントを変えるだけで、混ぜる、こねるはもちろん、パスタ作りやアイスクリーム、スライサー、肉挽き、ソーセージ作りなど、色々な事ができちゃう。
サポートもしっかりしていて、最初買った赤色が気に入らないからと一度返品し、現在の青色に交換した後、しばらくしたら使用中に妙な雑音がするということでサポートセンターに電話したら、「わかりました、すぐに新品をお送りします」と言われ、半信半疑でいたら、秒速で新品が届いた!
しかも、その問題のある商品の返送を一ヶ月以上ほったらかしにしていても、何の催促もなし、というアメリカの会社にあるまじき、サービス体制。
この製品、主にJがお菓子作りに使用していたのですが、自分である日ふと使ってみたら、あらびっくり。
すんげー使い勝手がよくて、楽チンなの!
あたし、挽肉を手で混ぜる時の指と指の間に入るニュル感が嫌いで、ハンバーグとかの練り物系はほとんど作らなかったんだけんど、これを利用すると材料混ぜてスイッチ押すだけで、あとは自動でできちゃうので凄く楽。
という訳で、今日はコロラド時代のお友達、Rさんから教えてもらった韓国風つくねを作ってみますた。
この韓国風つくね、Rさんのホームパーチーに行った時に初めていただいたのですが、あまりのおいしさにパクパク食べて、「これはJさんに・・・」といただいた残り物まで、Jにはもらってきた事を教えず、家に帰った夜中にこっそり自分でたいらげたくらいの絶品。
2009年2月2日月曜日
世良公則
世良公則といえば、やはりこのCM。
超男っぽくてロックな感じがイケていたんですが、数十年経った今でも変わっていないようですYO!
しかしこの女優さん、キリっとしてて綺麗だなぁ~。
↓は、ギター一本で魅せる、円熟味の増した世良さんのパフォーマンス!
かっこよくね!?
2009年2月1日日曜日
2009年1月30日金曜日
差別発言
でも、やはり雪&氷は溶けておらず、車を車庫から出せない状態。
雪のせいで2日間も仕事が休みだったダーリンJは、バスで仕事に行きました。
午後4時ごろ、暗くなる前にと、近くのコンビニへビールを買いに歩いて行きました。
途中、3ブロック程歩いて交差点を曲がろうかという時に、前方から来た3~4人乗りの車から僕に向かって突然「Faggot(カマ野郎)!!!」と罵声が。
こんな事、アメリカに住んで7年以上になりますが、初めてです。
超ショックだった。
車はそのまま道を曲がり見えなくなったけれど、引き返してきてからまれやしないかと、ドキドキしました。
実は家のフロントポーチには、ダーリンJが取り付けたゲイのシンボル、大きなレインボーフラッグが吊るされており、僕はそれが嫌だったのです。
だって、外から見ると、この家に住んでるのはゲイだって公言しているようなものでしょ?
たぶん、この罵声を浴びせた奴らは、僕がこの家から出入りしているのを見て、ゲイだと確信したんだと思います。
それに、この辺に住んでるアジア人なんてほとんどいないし、目立つ存在なのかも。
仕事から帰ってきたJにこの事を話すと、「ごめんねー、嫌な思いさせちゃって。でも、気にしないで。今度そんな事あったら、車のナンバー覚えとき。」などなど慰めてくれたものの、「あのレインボーフラッグ、降ろしてくんない?」と頼むと、「でも僕、あれ好きなんだよねー。プライドの象徴だし・・・」と奥歯に物の挟まった返事。
ちょっとどうやって奴を説得すればいいか、発言小町に投稿して相談しようか考え中。
もう嫌、こんな街・・・・
2009年1月29日木曜日
大雪で軟禁状態
膝下くらいの雪が積もった訳ですが、これがもうやっかいで。
コロラドならば、この程度の雪なら1日、へたすると半日で溶けて無くなるのですが、ここは冬になると太陽が滅多にでないオハイオ州。
そのまま残っております。
ていうか、それがガチガチの氷になって、外を歩くと危ない危ない。
うちの前の歩道なんか、アイススケートできるんじゃないか、ってくらい凍ってますからねー。
ところで、うちの車庫は裏庭の奥にあり、道路から30メートルくらい離れておりまして。
そのドライブウェイ、結構な急勾配な上に、隣との境目は大人の背丈ほどの段差がある。
普段でも用心しないと危ないんだけれど、これが除雪した後、厚さ数センチのガチガチの氷になってしまい、車なんか出せない状態です。
たぶん、出したらそのままヒョロロロロ~とコントロールを失い、段差に落ちるか家の前の道路に突っ込んでしまいそう。
しょうがないので、昨日は氷点下の雪の中、近くの個人商店に歩いてビールを買いに行きました。
でも、そこは大雪のためかクローズ。
そこで、ちょっと離れた別の店に向かったのですが、そこに着くまでがまるで八甲田山。
大きなストリート沿いを歩いたのですが、もちろん歩道は除雪などされてなく、道路側からきた汚い雪で覆われている。
誰も歩いた跡の無い雪道を、鼻水たらしながら半泣きで歩きました。
靴の中に雪は入ってくるし、手袋をしていても両手はガチガチに冷たくなってくる。
コンビニの看板の明かりを見たときは、「生きていてよかった」と思いましたよ。
やっとの思いで家に帰ると、普段なら25分もあれば往復できる所、1時間が過ぎていました。
危うく、家のそばで遭難する所でした。
でも、その後で飲んだビールはうまかったYO!
でもこれ、あと何日続くんだろ?
離れてみてわかった、コロラドの快適さが懐かしいです。
2009年1月26日月曜日
ファン吉ポン経過良好
薬の力ってすごいですね!
大学病院でもらった新しい薬を投与したその夜から、ファン吉ポンの状態がかなり良くなりました。
それまで、一つの部屋から出れずにあちこちに頭をぶつけてパニックになってたのが嘘のように、何の問題も無く部屋から部屋へサクサク移動できるようになったYO!
それ見た時信じられなくて、夜中だったけれどダーリンJを叩き起こしてしまった。
今では壁にぶつかる事も無く、キッチンに行って水を飲んだりご飯を食べたり、トイレも無問題。
自分のベッドにも、サクサク歩いていけます。
ていうか、僕が焼き鳥じいさん体操なんかしていると、僕の動きに合わせて顔を動かしたりするので、もしかして見えてる?と思う事も。
確実に症状が良くなっているようです。
さて、今日はファン吉ポンの血圧の状態を知るために、かかりつけの病院に行きました。
大学病院は遠くて彼の負担になるので、血圧測るだけならいつもの病院で、という事で。
んで、先週予約したとき、Jが念を押して血圧を測る機械ありますか?と聞いて「大丈夫だ!」と言われたのですが、行ってみると「ごめんなさい、うちの病院その機械おいてないんです・・・」。
で、でたよ、アメリカのいい加減なサービスクオリティが・・・・
もう、二人して目が点。
それじゃ、ここにきた意味無いじゃん。
J、仕事を早退してまで来たのに。
しょうがないので、近くに血圧計がある病院を紹介してもらい、そこに移動。
計測してもらった結果、数値が230から160までダウン!!
凄い!たった3日で数値が70も下がったYO!
それでも、まだちょっと高いので油断は禁物ですが。
でも、日々具合が良くなっていくファン吉ポンを見ていると、ほんとうに嬉しく思います。
↑の動画は、具合が悪いときはしない毛づくろいを再び始めたファン吉ポンです。
2009年1月23日金曜日
ファン吉ポン大学病院で診察される
ファン吉ポンが心配だったので、昨夜もリビングルームのカウチで夜を明かしたのですが、何事も起こらず一安心。
それどころか、彼が夜中に2回もご飯を食べてトイレに行ったのが凄く嬉しい。
ていうか、このアル中のあたしが2日も酒を飲んでいない事に気づいて、自分でもビックリしたけど。
さて、今日はかかりつけのお医者さんに教えてもらった、動物眼科のスペシャリストDr.のいる病院へ、ファン吉ポンを連れて行きました。
フリーウェイを約80分ほど東へ向かったコロンバスにある、大きな大学の動物病院です。
Dr.は、綺麗な女医さん。
検査の結果、やはり血圧が異常に高く、それが原因で網膜剥離を起こしたみたいです。
お医者さんによると、猫ちゃんの標準血圧は140なのですが、彼の場合は230もあるとの事。
めっちゃ高いやん!!それを聞いてダーリンJも僕もビックリ。
そんなの、前の病院では何も聞かされてないんですけどー!?
あと、持参したかかりつけの病院でもらった薬は、実は腎臓病向けの薬で、血圧を下げる効果はあまり無いとの事で、それ用の薬をいただきました。
Dr.によると、薬が効いて血圧が下がると以前と同じとはいかないものの、いくらか視力が回復する可能性もあるとの事で、希望をもらって少しホっとしました。
んで、治療についてですが・・・
一晩病院で預かりつつ、強力な薬を投与し、一時間ごとにデータを取って精密検査をするコースと、自宅でしばらく投薬して後から再検査するコースの選択肢があったのですが、前者はなんと$600~$900もかかるというではないか。
たった一晩預けるだけで、日本円で5万~8万円ですか!?
そんなお金は無いし、以前動物病院で働いた経験のある私としては(たぶん、ほったらかしだから)必要性が無いと判断し、自宅療養を希望したのですが、Jも同じ気持ちだったよう。
色んな考えがあるんだろうけど、僕としては、そんな強力な薬を投与し、もし何かあった時に知らない人に見守られて息を引き取ったり、それによるわずかの延命処置になるより、例えそれをしないでその時期が早まったとしても、自分達の腕の中で最後を迎えて欲しい、という思いでした。
何しろ彼は、獣医から最高で16歳、最低でも12歳の高齢猫ちゃんのハンコお墨付きですから、僕達も覚悟はできてます。
これから、2種類の薬と自宅点滴で、なんとか頑張ってもらいたいものです。
と思っていたら、帰りの道すがら、あと15分で自宅に着くという時に、例の発作が起きました。
後部差席でケージの中に入れていたのですが、急にバッタンバッタン激しい音がしたので、フリーウェイだったけれどあわてて路肩に止めてもらい、ケージから出してタオルにくるみ、家までは僕が助手席で抱いていました。
ちょっと(だいぶ)危ないけれどね。
Jは、ファン吉ポンの発作を実際に見るのは初めてで、運転しながらもかなりショックを受けていた様子。
家に帰った後は、長旅と病院でのストレスからか、ファン吉ポンはいつものように猫用トイレの中に引きこもり。
あんまりいっぺんに何もかもやると負担がかかるので、今日は薬だけで点滴は無しです。
新しい薬がうまく効いてくれるといいのですが・・・
↑の動画は、ファン吉ポンがキッチンの中で迷子になる様子。
眼が見えないので、すぐそこにあるダイニングルームに入れそうで入れない不憫な状態です。
あ、Simon君はこの数日ちゃんとトイレを使えるようになったので、晴れて軟禁生活を解かれました。